定年前夜のこと(一)
はじめに
当たり前のことではあるが、人には人それぞれの人生というものがある。十人十色と言うぐらいだから、その色模様はじつにさまざまであるに違いない。にも拘わらず、誕生から死に至る時間の経過のなかで、比較的共通したライフイベントというものが存在する。ライフイベントとは、多くの人々にとって重要な人生上の出来事のことである。それは、進学であり、就職(そして転職)であり、結婚(そして離婚)であり、出産や育児、子どもの成長(進学、就職、結婚)であり、そして定年である。
とりわけ定年は、多くの人にとっては最後のライフイベントとなるはずなので、人生にとって特別な意味を持つことになる。進学や就職、結婚、出産なども大事なイベントであるが、それらは人生の通過点として存在しているので、それぞれの時点では、そうしたものが自分の人生にとってどれほどの意味を持つのかということを、十分に理解できているわけではない。また、そんなことをあれこれと考える時間的な余裕も余りない、というのが大方の実情であろう。
その点では、最後のライフイベントとなる定年は、各人の人生を締め括る位置にあるので、他のライフイベントとはいささか様相を異にする。これまで通過してきたライフイベントをあらためて振り返ることになるからである。また、そうしたことを考える時間的な余裕も生まれてくるのではなかろうか。定年をどう迎えたのかを明らかにすることは、その人がどんな人物として、どんな人生を送ってきたのかを解き明かすことでもあり、両者は緊密に繋がっているのである。
そんな思いもあって、本稿のタイトルを「定年前夜」としてみた。定年を迎えようとしていた私が、その時にいったいどんなことを考えていたのかを描き出してみたかったのである。もっとも、私にできることは、「定年前夜」に起こった出来事をあれこれと羅列的に紹介することだけであり、そこに特段の考察が加えられているわけではない。もともとそれぐらいのことしかできないし、それでいいのだろうとも思っている。これぞほんとうの「諦念」である(笑)。いま「諦念」と書いたが、これは普段は諦めの気持ちを表す言葉として使われているが、道理を悟って迷わない心という意味もある。重要なのは後者である(笑)。
一 『記憶のかけらを抱いて』のことなど
毎年8月の最初の土曜日に、ゼミの卒業生たちがOB・OG会を開いており、私もそこに欠かさず出席している。卒業生たちの元気な顔を見て、彼らや彼女らの近況を聞くのが楽しみなのは言うまでもないが、毎回足を運んできたのはそれだけの理由からではない。この会が、2000年に卒業し2007年に亡くなったゼミ生の内田一人君の発案と奮闘によってできたという経緯があるので(彼のことについては、『記憶のかけらを抱いて』の38~39ページで触れている)、欠席すると彼に悪いような気がするからである。
内田君のことが何時までも気に掛かっているのは、私という人間が、表層はドライを装ってはいるものの、深層は結構ウエットだからなのかもしれない。OB・OG会に出席することが、何となく「義務」のようにも感じられるのである(笑)。こんなふうにいささか気弱な私ではあるが、身体が元気なうちは、これからも毎年顔を出すつもりである。
定年前の2017年8月に開かれたOB・OG会は、私が現役で迎える最後の集まりになるということで、アルコールの入る懇親会の前に、ビルの会議室を借りて、そこでゼミで学んだことなどを参加者どうしで語り合ってみようということになった。どうせ集まるならそんなことをやってみてはどうかと、私の方から会の幹事に提案してみたのである。
定年退職を前にして、最終講義や退職を祝うパーティーなどをやる同僚も勿論いる。だが私の場合には、最後となったゼミ生たちの様子を見ると、そんなことをやれるような状況にはないようにも思われたし、また私自身も、もともとそれ程やりたいとも思っていなかったので、ゼミのOB・OG会を最終講義や定年退職を祝うパーティーの替わりにしてみようと考えたというわけである。私の一言もあった所為であろうか、幹事たちが実にてきぱきと動いてくれ、例年よりも大勢のゼミの卒業生たちが集まってくれた。
この会に合わせて、『記憶のかけらを抱いて』と題した冊子を大急ぎで作成し、当日の参加者に配った。忙しいなか駆けつけてくれたゼミ生に対する、私からの細やかなお礼の意味も込めたつもりである。私は、老後の道楽としてシリーズ「裸木」と題した冊子を毎年刊行するつもりだったので、配布した冊子はその創刊号ということにした。この日のOB・OG会では、冊子に書いたことを素材としながら、まず最初に私が簡単に話をし、その後いくつかのグループに分かれて討論を行い、そこで論じられた内容を各グループの代表から発表してもらった。
討論のテーマは、ゼミで何を学びそれを現在の仕事にどう生かしているのかといったことだったが、スムーズなグループ分け、沈黙などのない活発な討論、そしてわかりやすい発表といった進行そのものが、ゼミでしっかり学んだことを窺わせるものであったと言えるだろう。それどころか、こうした集まりをまたやろうという声まで上がり、次回以降どうするかといったことまで話し合われた。
自慢話を好まない私なので、普段は気恥ずかしくて何も言わないが、卒業したゼミ生たちもなかなか大したものである。みんなの成長が感じられ、とても嬉しかった。こう書くと余りにも生真面目な感想となてしまうので、ついつい話を落としたくなる。そこで、ついでに付け加えておきたいのだが、そんなゼミ生たちを育てた教師は、もしかしたらとんでもなく偉いのかもしれない(笑)。きっとそうなのだろう。
これは悪い冗談である。冗談というものは、通ずる人には通ずるが、通じない人にはまったく通じない。私は冗談が通ずるような人と人との関係がことのほか好きである。「お笑い」を好むのもその所為であろう。博多華丸大吉の格言めいた決め台詞の一つに、「低い低いと思って高いのが尿酸値とプライドですな」というのがあるが、教師のような存在こそが心しなければならない名台詞と言うべきか(笑)。
創刊号となった 『記憶のかけらを抱いて』と題した冊子には、専修大学での教員生活の記録が纏められている。最後のゼミ論文集のはしがきも早めに書いて収録しておいた。出来上がった冊子を読み返してみると、いつものように誤字や脱字があり、文章表現に気に入らないところがあり、事実の誤りもあったりしたので、少しばかり情けない気がした。まだ甘いのである。自分なりに最善の注意を払ったつもりだったが、ゼミのOB・OG会に間に合わせようとして、慌てて作ったのでそうなったのであろう。
二部のゼミを卒業し、契約社員としてJR東日本に勤務していた丹野正俊君が、社員登用試験に合格して正社員となった。その彼が、定年退職する前に私と会って話をしたいとのことだったので、二部での授業の前に神田の教員室でしばらく雑談した。彼と話を交わしていて思い出したのだが、彼もまた川島賞をもらっていた。そのことをすっかり忘れていた。学生の頃の丹野君は自分に自信が持てないでいたが、学業成績は立派だった。そのことも冊子で触れておかなければならない出来事だったが、抜け落ちている。
私を指導教授として学んだ大学院生、あるいは大学院の授業で学ぶなかで親しくなった大学院生のことにも触れておかなければならなかったが、こちらも忘れている。マンツーマンに近い授業になり、修士論文の相談にものったりするので、彼らや彼女らにはそれだけ余計に親しみが湧くのである。2018年に年賀状をもらった院生は、井上敏男、大野恵美、田中健志、加藤寛敬、鳥海省吾、伊藤千穂子、そして中山嘉の皆さんである。他には、ゼミから大学院に来た秋元俊孝君や西岡ゼミにいた杉山秀隆君、中国からの留学生だった金虎林君や郎晴さんなどがいた。
勤務先を定年で辞めた後に大学院に来た鳥海さんの年賀状には、もう高齢なのでこれを最後にしたいと書かれてあった。随分と長い歳月が過ぎ去ったのである。嬉しかったのは中山嘉君の年賀状である。金沢大学の大学院まで進んだものの、さまざまな事情で研究者を断念して就職した中山君を励まそうと思って、私は去年渋谷で彼と会ったのだが、その彼が結婚したのだという。素敵な結婚相手の脇で、彼はいかにも嬉しそうな顔をして写っていた。こんな心温まる年賀状はそうあるものではない。新しい分野でいい仕事をしてもらいたいと願っている。
他に書き忘れたのは、夏のゼミ合宿で取り上げてきた映画のことである。年毎にテーマを決めて、ゼミ生に映画を2~3本見てきてもらい、感想文の発表をもとにしながらみんなで議論してきたのである。どうせならということで、学生諸君が普段あまり目にしないであろう「名画」を見せるようにした。取り上げてきた映画のタイトルや、私が書いた推薦文をパソコンに保存しておいたはずなのだが、それをいつの間にか消去してしまったようで、見付けることができなかった。返す返すも残念である。
好きな文学作品もそうだが、好きな映画を挙げてその作品について語ってもらったりすると、語っている人物の隠された人柄や性格が浮かび上がってくることがよくある。だから面白いのである。ゼミ合宿で取り上げた映画を思い出すままに記してみると、洋画では「プラトーン」、「フルメタル・ジャケット」、「西部戦線異状なし」、「風と共に去りぬ」、「怒りの葡萄」、「エデンの東」、「陽のあたる場所」、「激突」、「ジョーズ」、「モダン・タイムス」、「十二人の怒れる男」、「山の郵便配達」などがあった。
また邦画では「砂の器」、「たそがれ清兵衛」、「隠し剣鬼の爪」、「武士の一分」、「学校」、「一命」、「七人の侍」、「生きる」、「東京物語」、「飢餓海峡」、「阿弥陀堂だより」、「雨あがる」、「パッチギ」、「何者」などが、すぐさまに思い浮かぶ。ゼミ合宿の思い出とも重なって、どれもこれも懐かしい映画ばかりである。映画の記憶を通してゼミのこと思い出したりできるのは、何とも嬉しいことではないか。