名画紹介⑩「初恋のきた道」

 今回取り上げたのは、「紅いコーリャン」でもよく知られた中国の映画監督、チャン・イーモウ(張藝謀)の作品である。原題は「我的父親母親」なので私の両親ということだろうし、英語では The Road Home なので家路とでもなるのだろうか。当初私は邦題の「初恋のきた道」にいささか違和感を感じていたものだから(臍曲がりな私は、何故こんなに甘ったるいタイトルにするのかと不思議だったのである)、これまで未見のまま過ごしてきた。美しい恋模様を描いた映画なのだろうと、勝手に決め込んでいたからである(笑)。

 家に閉じこもって毎日映画を見ているなかで、家人からいい映画だと強く勧められたこともあって、今回初めて見ることになった。そして驚いた。恋の行方だけではなくその後も描かれていたし、二世代に渡る親と子の関係にも視点があてられており、いずれもが心に染みたからである。やはり早合点や思い込みは危険だということか(笑)。その結果、この名画紹介で取り上げたくなったというわけである。もともと一本はアジアの映画を取り上げるつもりでいたので、ちょうど好都合だった。

 世の中では、本作品でデビューしたチャン・ツィイー(章子怡)のアジアン・ビューティーとしての美しさに大きな関心が集まっていたようだが、そうした世評を離れて素直にこの映画を味わってみると、なかなかに奥は深い。原作はパオ・シー(鮑十)で映画と同名の翻訳があり、2000年に講談社から出版されている。折角だからと原作も手にしてみたが、所々に興味深い表現が散りばめられてはいたものの、ストーリーは映画とは違っていた。違っていて当然なので、それだけ監督の着眼と手腕が光っているとも言えるだろう。

 村を離れて都会で暮らす息子が、父親の突然の訃報を受けて、久し振りに母のいる小さな村に帰郷する。彼の父は、40年以上も前に小学校の建物もなかったこの村に教師として赴任し、爾来子どもたちの教育に心血を注いできた人物だった。そして、その父を支えてきたのが母だった。父は旧くなった小学校の建て替えのために奔走していて、倒れるのである。葬儀のために父の棺を町の病院から村に運ぶに際して、母親は何としても伝統通りに葬列を組み、道を歩いて村まで運ぶと言い張るのだった。その訳は、父と母との運命的とも言うべき出逢いをもたらしたものが、その道だったからである。

 ●道が示す人生の美しさと哀しさ

 母が18歳の時に、中国北部の三合屯(さんごうとん)という小さな村に、町から20歳の青年教師がやってくる。その彼を見て母は恋心を抱くのである。初恋である。原作では、その時の母がこんなふうに描かれている。「赤い服を着て、お下げを結った招弟は晴れやかで美しかった。赤いその袷(あわせ)の上衣は春の日の光に輝き、春を告げる軽やかな風に吹かれて、美しい、清らかな旗のようだった」。そして、その赤い服を父も目に留めていた。

 1950年代の中国のあまりに貧しい農村の暮らし。自由な恋愛など珍しかった時代に、彼女は、身分の違いなどに目もくれず、いじらしいまでに一途にそしてひたむきに彼を慕い続けるのである。原作では、父は招弟の目に次のように映っている、「身なりは清潔そのもので、広い肩、長い足。きれいに刈り込まれた髪の毛が風に揺れていた。迎えの人に見せた笑顔は若々しく、全身に力強さがみなぎっていた」。そんな父に母は驚き、心の中で賞賛の声をあげるのである。彼女のあまりの健気さが、チャン・ツィイーの演技と相俟って、この映画を観る者の心を揺さぶらずにはおかない。、
 
 父からプレゼントされた髪飾りを落としてしまって野原を探し回る母、反右派闘争という政治の動きに巻き込まれて、取り調べを受けるために村を離れる父。その父の帰りを待ち焦がれて倒れるまで立ち尽くす母。そうしたシーンの一つ一つが、町へと通ずる一本の道をはさんで、四季折々の美しくも厳しい自然の移ろいのなかに、詩情豊かに描き出されていく。息をのむような風景である。

 母の熱い恋心を知って、父も町から戻ってからは村を一度も離れようとはしなかった。母の思いをしっかりと抱きとめるのである。亡くなった父の棺を運ぶ隊列に、遠くから駆けつけた教え子たちが加わるシーンも美しい。その父は、息子を自分と同じように教師にしたかったのだが、その願いは果たされずに終わった。母からその話を聞いて、息子は町に戻る前に父の勤め上げた、そしてまたもうすぐ取り壊される予定の小学校で、1時間だけ授業をする。この小学校は、文字の読めない母が、授業中の父の声を聞きたくて40年も通い詰めた場所なのである。

 息子の授業は、父の作った教材を使ったものであった。このエンディングも胸を熱くさせる。今回はそのなかから「どんな出来事も心にとどめよ」をタイトルに使ってみることにした。息子が授業で読み上げる父の文章である。なんと美しい言葉なのだろう。母の父への思いは、その言葉通りだったに違いない。若き日の父の授業に出てくる「人 世に生まれたら 志あるべし」も心に響いた。息子の授業を描いたシーンでは、残念ながらそこは割愛されていた。「志あるべし」とは、まさに父の人生そのものではなかったか。教育というものの原点を見る思いである。

 父が初めて村に来た道、母が町に戻る父を追いかけた道、母が父の帰りを待ち続けた道、父の死を知って息子が帰郷する道、父の棺が村に帰る道、そして、村に残るという母をおいて息子が村を離れる道。その道こそが、人生というものの美しさと哀しさを余すところなく物語っているかのようである。この映画を観る者は、誰にでもある自分の道を通って、それぞれの懐かしい場所へと還っていくに違いない。