名画紹介⑧「モダン・タイムス」

 今回は、世界の喜劇王の名をほしいままにしたチャールズ・チャップリンの「モダン・タイムス」を取り上げることにした。制作されたのは1936年なので、今から80年以上も前のことになる。彼ほどの存在になると、取り上げるべき作品は数多い。「黄金狂時代」や「チャップリンの独裁者」などもそうだし、「ライムライト」、「キッド」、「チャップリンの殺人狂時代」などもすぐに思い浮かぶので、どれにしようか迷うところである。

 あれこれ考えた挙げ句、今のような格差と貧困の時代に観るべきものは、「モダン・タイムス」をおいて他にはないと勝手に判断して、この作品にした。「モダン・タイムス」と言うのだから、直訳すれば現代ということになるが、この如何にも素っ気ないタイトル自身が、人間としての潤いを失って乾いてしまった時代の特徴を、的確に捉えているようにも思われる。

 この映画が制作された頃には、既に無声映画の時代からトーキーの時代に入っていた。にもかかわらず、チャップリンはあえて無声でこの映画を撮っている。勝手な推測ではあるが、声を失った労働者、声を失った失業者を表現したかったのであろうか。彼はこの映画で監督、脚本に加えて音楽までも担当し、また当然主役として出ずっぱりなので、まさに持てる才能を全開させている。

 全編ドタバタ喜劇満載で抱腹絶倒の作品にもかかわらず、そこにしっかりとペーソス(哀愁や哀感)が挟み込まれており、何とも見事な出来映えと言う他はない。映画を見始めると、冒頭に「人間の機械化に反対して個人の幸福を求める物語」との字幕が現れるが、この映画の主題はまさにそこにこそある。職を求めて悪戦苦闘する労働者への愛情が、全編に溢れている。

 ●反抗精神としての笑い

 この映画は、タイトルバックの時計から始まって、ラッシュ・アワーに揉まれる群衆を見せ、それを意思のない羊の群れにだぶらせる。導入から現代への鋭い風刺が描かれており、チャップリンの時代認識の的確さがよくわかる。その後、工場での無味乾燥な単純労働の世界に移り、そこでの悲劇がたっぷりと描かれることになる。工場ではスピード・アップされたコンベアでの流れ作業に翻弄され、自動食餌機でエサまで与えられかねない状況に遭遇するなかで、彼はついに発狂し失業することになる。

 チャップリンの凄さは、こうした悲劇的な状況を徹底した喜劇として描き通すことによって、現代という時代に反抗していることである。時間に追い立てられ、無力で無意味な労働に縛り付けられ、失業の不安に曝されている労働者の姿は、既に過去のものとなってしまったわけではない。今日でも依然として続いている。「モダン・タイムス」が古臭く感じられないのは、そのせいであろう。

 彼は、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と語っているが、悲劇と喜劇は紙一重ということであろうか。われわれは、笑わなければ気が狂いかねない時代に生きているのかもしれない(笑)。食べ物を求めて浮浪児同然の少年時代を生きてきたチャップリンにとって、飢えることへの恐怖は強かったようで、映画の主人公もまた食うための仕事を求めて悪戦苦闘する。しかしながら、どれもこれもうまくいかない。悲劇の連続である。

 そんななか唯一の救いとなるのは、街を浮浪する少女との出会いである。掘っ立て小屋での二人だけの幸せな生活。そこには工場にはないものが確実にある。しかしながら、束の間の幸せも失われ、彼女は悲嘆に暮れるのである。「いくら努力してもむだだわ」と嘆く彼女を、チャップリンは「へこたれないで元気を出すんだ 運が開ける!」と励ます。

 現実の厳しさ、冷たさと対比したラスト・シーンの優しさと美しさに、この映画を観る者は深く胸を打たれるはずである。冒頭との対比がなんと鮮やかなことか。淀川長治は、この映画の解説で「チャップリンのラスト・シーンはすべて美しく、きびしく、悲しく、やさしく胸を打つ」と書いているが、同感である。彼もチャップリンが大好きだったのであろう。

(追 記)

 前回も結構長い追記を書いたが、今回もまた追記を付け加えてみたい。もしかしたら、案外追記が好きなのかもしれない(笑)。「モダン・タイムス」を久し振りに見て、昔はぼんやりと眺めていただけの相手役のポーレット・ゴダードが気になった。キラキラと光る目、こぼれる笑み、少し鋭角的な顔、敏捷な身のこなし、どれもこれも素晴らしい。ネットで調べてみたら、チャップリンの妻となった女性であった。二人の息がやけにぴったり合っているように思えたのは、その所為だったのかもしれない(笑)。そのポーレット・ゴダードだが、晩年は4人目の夫となったレマルクとスイスで過ごしたとあった。

 前回の名画紹介で、レマルクの「西部戦線異状なし」を取り上げたばかりだが、ポーレット・ゴダードはそのレマルクの妻となっていたのである。いささか驚いた。ついでに、この二人がどのようにして知り合ったのか調べていたら、ゴダードも恋多き女性だったようだが、相手のレマルクも実に恋多き男性であったようだ(笑)。彼の私生活にはマレーネ・ディートリヒやグレタ・ガルボなどの名前が頻出しており、常にスキャンダルの渦中にあったのだという。まったく知らなかったことだったし、私が抱いていたレマルクのイメージとも違ったので、こちらの事実にも驚いた。

 そうした話はともかく、「モダン・タイムス」を取り上げた名画紹介の原稿を「学習の友社」に送って一息ついていたら、今度はたまたまNHKのBSプレミアムで「モダン・タイムス」が放映された。こちらにもびっくりして、早速録画して再び見直すことになった。このチャンネルで放映される映画は名画揃いだし、このところ不要不急の外出を避けて家にいることが多いので、よく録画して見ているのである。

 私が原稿を書く際に見たのは、手元にあったVHSのビデオテープであったが、大分前のものなので画質がかなり劣化していた。それに較べれば、テレビの映像はきわめて鮮明だったので嬉しかった。映画の冒頭に登場する字幕は、「幸福の追求にまい進する、進取の気性に富む勤労者をたたえる物語」となっていたし、最後の字幕も「元気を出せ 諦めるな 二人ならできる!」となっていて、私がビデオテープで見たものとは違っていた。昔5巻セットのチャップリンのビデオ全集を購入した頃から、かなり長い歳月が過ぎ去ったのである。

 余談の最後に。私の乗っているクルマは、その日最初に運転すると、今日は何の日か教えてくれる。どうでもいいサービスなので、何も気にしないでいるが(笑)、4月16日にクルマを動かしたら「今日はチャップリン・デーです」と教えてくれた。そんな記念日があることなど勿論知らなかったが、チャップリンは1889年4月16日に生まれたので、その日にちなんでいるらしい。こんな時に知らされたので、この案内だけは嬉しかった(笑)。