名画紹介⑥「戦争と人間」(全三部)

 当初から邦画6本洋画6本を取り上げることにしていたので、今回が日本映画の最後の作品ということになる。この名画紹介も、ようやく前半を終えるところまできた。退職後に原稿の依頼など滅多にあるものではないから、原稿依頼に嬉しくなって些か気軽に引き受けたのであるが、やってみると予想以上に大変な仕事である。書くのは短い文章なのだが、それでも文章を書こうとすれば映画を見直さなければならないし、出来れば原作も読みたくなる。適当にやっておけばいいようなものだが、性分の所為なのかなかなかそうは出来ない。

 今回取り上げたのは、山本薩夫監督の「戦争と人間」(全三部、1970~73年)である。今時の若い人に勧めたい名画ということなので、最後に何を選ぶべきか迷いに迷った。この映画は三部からなる。第一部は「運命の序曲」、第二部は「愛と哀しみの山河」そして第三部は「完結編」とサブタイトルが付けられており、各部がそれぞれ3時間、通して観ると計9時間にも及ぶような、文字通りの超大作である。筆者もこの名画紹介で取り上げるために、三日掛かりで見直した(笑)。

 見始めた当初は、この映画を取り上げるべきかどうかまだ迷いが残っていたが、見終えて自信を持って紹介出来る映画であると確信した。原作は五味川純平の同名の長編小説であるが、私は未読である。当初この映画は、東京裁判による伍代家の破滅まで描いた四部作(監督自身は五部作を考えていたらしい)を予定していたようだが、豪華キャストに加えて、海外ロケや本格的な戦闘シーンの撮影など、日本の映画史上屈指の作品となったため、当時の日活の経営事情もあって、三部で完結せざるをえなかったのだという。

 原作者の五味川は、ソ満国境でソ連軍と戦い、中隊158名のうち生存者はわずかに4名という戦闘を生き延びて敗戦を迎えたとのことだが、こうした死線を彷徨う過酷な体験をもとにしているからこそ、「戦争と人間」は観る者の心を揺さぶる反戦映画となっているのであろう。監督の山本薩夫は、数多くの社会派映画を撮り、現代社会の暗部を抉り続けてきた。その彼の集大成とも言うべき記念碑的な作品である。タイトルとして紹介した科白は、「これからどうなる」「…天皇に聞けよ」とした。ノモンハンでの戦闘で敗残兵となって戦場に取り残された二人の兵士の遣り取りである。天皇の命によって戦場に駆り出された兵士の、怒りの叫びである。

 昭和史を学び直すために

 この映画は、日本の軍部や財閥が日中戦争に向かうなか、人々の運命が戦争によって翻弄されていく様を、壮大な群像劇として描いた作品である。主題となっているのは、満州進出を窺う新興財閥伍代家の人々のさまざまな形の愛と別れのドラマであり、そのことを通しての伍代家衰亡の予兆である。それに加えて、日中戦争の全貌を描き出すために、魅力的な中国人や朝鮮人たちも数多く登場しており、ノモンハンでのリアルな戦闘シーンも加わって、そのスケールの大きさは目を見張るばかりである。

 伍代家の当主由介(滝沢修)には、長男と次男、長女と次女の4人の子供がおり、一部では長女の恋(浅丘ルリ子と高橋英樹)が、二部では次男の恋(北大路欣也と佐久間良子)が、そして三部では次女の恋(吉永小百合と山本圭)が描かれるのであるが、そのすべてが戦争によって引き裂かれ、軋み、そして暗転していく。かすかに希望を灯しているのは次女の恋のみである。登場している俳優陣を見ると、まさにオールスター・キャストであり、そのこともまた「戦争と人間」を映画史に残る作品にしているのかもしれない。滝沢修の存在感溢れる名演に引きずられるかのように、どの出演者も熱演である。

 こうした子供たちの恋の暗転によって、伍代家の一族としての結束と平穏で優雅な暮らしは揺らぎ始め、当主の由介にも苦悩の色が濃くなっていく。その背後に広がっているのは、治安維持法による思想弾圧と激しい拷問そして転向であり、皇軍に蔓延る新兵に対する凄まじいリンチであり、関東軍参謀たちの狂信と暴走であり、戦場における兵士たちの虫けらの如き死である。そうした苛烈な現実を通して、人間の運命を踏みにじる魔物のような戦争の姿が浮き彫りにされていく。

 日本では、非戦や厭戦の映画であればまだしもだが、明確に反戦を主題にして戦争の総体を描こうとするような骨太の映画は、なかなか作られない。費用の問題ももちろんあるだろうが、日本はいまだに加害の事実に向き合うことが出来ないでいるため、戦争の実相を描いた映画を撮りにくい雰囲気もあるのかもしれない。南京での虐殺や従軍慰安婦をめぐる問題を正面から取り上げたり、昭和天皇の戦争責任を問うような映画が、日本で作られないのもその所為であろう。また他方では、メッセージ性が強いことを非芸術的であるとして敬遠する向きもある。そうしたことの結果ででもあろうか、いわゆる映画通の人には「戦争と人間」のような映画は好まれないし、評価も低くなりがちである。

 監督の山本薩夫は戦時中に北支を転戦したようが、この時期に彼は映画監督であることに因縁をつけられて、上官たちから執拗ないじめを受けた体験を持つ。戦後は東宝争議に参加し組合側の中心人物の一人となった結果、東宝からの退職を余儀なくされることになる。創作意欲に溢れる彼は、その後は独立プロによって数々の社会派映画を撮った。彼は根っからの反骨の人ではあるが、ただの反骨の人ではなく大衆的な娯楽性も持ち合わせており、その結果大手の映画会社からも声が掛かるようになる。「戦争と人間」は、こうした彼だからこそ撮り得た映画であろう。

 私も、メッセージ性のみで映画を評価するつもりなどまったくないが、メッセージ性が嫌われるような現状は、社会認識の衰弱と紙一重でもあるだろう。「戦争と人間」は、昭和史を学び直そうとする人にとって必見の映画である。そして更に言えば、今を生きる若者こそが昭和史を学び直さなければならないのではないか。何故なら、過去に学ぶ者こそが確かな未来を切り拓くはずだから。