名画紹介②「七人の侍」
名画紹介の2回目には「七人の侍」(1954年、監督・黒澤明)を取り上げることにした。タイトルは、文中にも使わせてもらった名台詞、「おのれのことばかり考える奴は、おのれをも亡ぼす奴だ」にした。また編集部から、読みやすくするために中見出しを入れて欲しいとの要請があったので、「『たたかう』ことの人間臭さ」としてみた。今回改めてこの映画を見直してみると、旧い作品のためか科白が聞き取りにくい箇所がある。そこだけが何とも残念だった。
今回は「七人の侍」を取り上げることにしたが、もしかしたら、今更と思う人も多いかもしれない。それぐらいよく知られた映画である。私の手元にある文藝春秋編の『日本映画ベスト150』(文春文庫、1989年)によると、この映画は堂々の第1位にあがっている。因みに、同じ黒澤作品である「生きる」が3位、「羅生門」が4位に入っているから、「七人の侍」は巨匠の手になる最高傑作と言ってもいいのかもしれない。
それどころか、この映画は海外でも高い評価を受け、ジョン・スタージェス監督の手で本場の西部劇「荒野の七人」(1960年)として翻案されてもいる。本物の時代劇を作りたいという黒澤監督の執念が、映画の持つ迫力のすべてを引き出し、並の西部劇を遙かに凌ぐ作品に仕上がっていたからであろう。ラスト近くで、雨中の戦闘シーンが繰り広げられるが、そのすさまじさは今でも見る者を震撼させる。
野武士の群れを相手に戦うのは、七人の侍でありまた彼らを雇った農民たちなのだが、癖のある侍たちを束ねるのが勘兵衛(志村喬)である。彼の人間的な魅力、言い換えれば、人間の幅の広さと奥行きの深さが、侍たちを惹き付け農民たちを心服させる。そこには、鋭利な頭脳を包んだ何とも柔らかな物腰がある。
●「たたかう」ことの人間臭さ
「たたかう」という行為には、指導者と大衆、戦略と戦術、攻撃と防御、信頼と離反といった要素が含まれており、それ故何とも人間臭いドラマが生まれる。労働組合運動の場合も、似たようなものなのではあるまいか。先の勘兵衛が、村を守るために離れの家を犠牲にすると決めた時、そこに住む農民たちが陣営から離脱するといった騒ぎが起こる。怒って抜刀した彼は、次のように言う。
「三軒のために二〇軒を危うくはできん。またこの部落は踏みにじられて、離れ家の生きる道はない。いいか、戦(いくさ)とはそういうものだ。他人を守ってこそ自分を守れる。おのれのことばかり考える奴は、おのれをも亡ぼす奴だ」。至言と言う他はない。勘兵衛に率いられて、菊千代(三船敏郎)が久蔵(宮口精二)がそして農民たちが、スクリーン狭しと躍動する。社会運動に関わる人々こそが、繰り返し鑑賞すべき映画であろう。