友人から著書を贈呈されて
前回のブログで、私が贈呈した冊子に対する知り合いからの礼状の話を書いたので、今度は逆に、知り合いから送られてきた著書への私の礼状の話を書いてみよう。何時も書いているように、私の冊子などは老後の道楽で作成しているに過ぎないが、しばらく前に友人のHさんから送られてきた著書は、定年退職を機に長年の研究成果を纏めた実に立派なものだった。とても比べものにはならない。それに、私とはまったく畑違いの分野の研究を纏めたものなので、ちょっとした論評などでさえもできかねる。どんな礼状を書いたらいいのか迷ったが、知りもしないことについて知ったかぶりをするぐらい見苦しいものはないので、何時もの調子で書くしかなかろうと腹を括ることにした。以下がその礼状である。
その後お元気にお過ごしでしょうか。海外出張から帰国して、立て続けにあったであろう送別会をこなし、明後日はいよいよ卒業式ですね。先日はHさんの研究の集大成とも言うべき『ハインリヒ・ブリンガーヨーロッパ宗教改革―』をお贈りいただき、ありがとうございました。Hさんとは長い付き合いであったにもかかわらず、その経歴は勿論のこと、その研究分野についてさえもほとんど知ることもなく過ごしてきました。本当に申し訳ない。今頃謝られてもねえと笑われそうですが、どうかお許しのほどを。
贈られた本を手にして、まず驚いたのはその立派な装丁です。実に素晴らしい。こんなところにもHさんの美意識が現れているんでしょうね。著書のそしてまた著者の格調の高さを感じさせます。私も、死ぬまでにこんな装丁の本を作ってみたいものだと思った次第。一麦出版社ということですから、この名前は、『聖書』にある「一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし」に由来するんでしょうね。出版社の名前も何だか興味深いですね。
いつものように、序論と後書きを読み、巻頭の写真を眺めてお礼のメールを送ろうかなと思っていましたが、Hさんが深い関心を寄せていた宗教改革とはどんなものだったのか、何故か急に振り返ってみたくなりました。五島列島に出掛けて教会群を巡ってきたことなども、どこかで影響してるんでしょうか。山川の受験参考書を広げてみたら、次のようなことが書かれていました。「宗教改革はルネサンスとならびヨーロッパの近代精神の根源をかたちづくった運動である。 時期的にもこの2つは並行して展開した。 前者は聖書やキリスト教の初期の精神にたちもどって、個々人を神の前にたたせ、心の深い次元において罪を自覚し、ひたすらな信仰をもつことによる救いをめざした。後者は古典古代の文化の復活というかたちをとって、近代的な個人を覚醒させた。近代の幕開けを飾るこの2つの運動は自我の積極的否定と徹底的肯定、人間性への悲観と楽観 、宗教性と世俗性という違いはあるものの中世的なカトリック的価値観に対して、個の自覚をめざす点では共通の性格をもっている」。
いや~、Hさんはそんな大事なことを研究されていたんですね。何も知りませんでした。いまさらですが、あらためて敬意を表する次第です(笑)。そして思ったのですが、Hさんの素晴らしいところは、そんな立派な研究をされているにもかかわらず、偉そうな素振りをまったく見せないことですね。深いところで人間の「原罪」のようなものを自覚されているからなんでしょうか。序章を読んで、ハインリヒ・ブリンガーという人物の輪郭がぼんやりとですが理解できましたし、あとがきをよんで、Hさんという人物の輪郭がこれまたぼんやりと理解できました。何だか日本人離れした研究のスケールですね。私のように、日本の労働問題の現状分析めいたことをちまちまとやっているのとはわけが違う。
序章とあとがきを読んでいて、「方伯」(地方の諸侯のこと)とか「同労者」(同じ地位にあって一緒に仕事などをする仲間のこと)とか「居館」(住まいとしている館のこと)といった言葉があることを初めて知りました(笑)。そんなことも勉強になった次第。そのうちまたお会いして飲み食いする機会があるでしょうが、そんな時にいろいろと教えていただきたいものです。何はともあれ、今後ともこれまで通りお付き合いいただけますように。
以上が私の書いた礼状である。著書の中身よりも先に本の装丁を褒めるなんて、失礼にも程があると言われそうな気もするが(笑)、ほんとうにそのぐらい立派だったのである。私は世界史の知識が絶対的に不足しているような人間なので、宗教改革についてもうろ覚えの知識しかない。ましてやハインリヒ・ブリンガーという人物についてなど、何も知らない。ネットで検索してみたら、「スイスの宗教改革者で、フルドリッヒ・ツヴィングリの後継者として、宗教改革で重要な神学者。『契約神学の父』と呼ばれる」とあった。
彼は16世紀のヨーロッパにおいて大きな影響力を発揮したらしいが、にもかかわらず、ルターやカルヴァンやツヴィングリの三巨頭と比べると、これまで大分過小に評価されてきたようだ。当時のチューリッヒは、プロテスタント神学の一大発信地であったが、強力な霊的および政治的指導力を発揮して、このスイス北部の町をジュネーヴやバーゼルと並ぶスイス宗教改革の拠点に押し上げたのが、ハインリヒ・ブリンガーだったとのこと。Hさんの著作は、彼の再評価に光を当てた著書だったのである。「同労者」という言葉も、キリスト教の世界の言葉のようで、「純粋に、互いに励まし合い、助け合って目的に向かって活動する関係」をさしており、神とともに働く人のことを言うらしい。何だか気になる言葉である。
話は変わるが、同じ大学にM先生という面白い方がおられた。洒脱な話が得意であり、そしてまた言いたいことを遠慮なく言う先生だった。そのM先生が、ある時私を掴まえてこんなことを言った。「祐吉、おまえなんか大学を何時辞めてもいいが、Hだけは辞めさせないようにしろ」と。M先生は、彼が世間にそうはいない逸材だと言いたかったのであろう。勿論この私もそう思っていたから、そのことには何の異論もなかったのだが、M先生の言い方に少しばかり引っ掛かるものを感じて(笑)、「先生そうはおっしゃいますけど、女性にもてる男にろくな奴はいませんよ」などと悪態をついた(勿論冗談である)。
私がそう言いたくなるぐらいHさんは女性にもてた(我が家の家人は今でもファンの一人である)。それだけではなく、同性にも人気があった。偉ぶらないし、面倒な雑事(教員組合の仕事なども含む)も嫌がらずに気軽に引き受け、いつもいつもきちんとこなしてくれたからである。情が厚いと言えばいいのか、あるいは面倒見がいいとでも言えばいいのか。こういう人物は希有な存在である。もしかしたら、彼が「同労者」たらんとしていたから可能だったのかもしれない。その辺りのことについて、彼からは詳しく聞いたことはない。
しばらくして、私のポストに週刊誌の記事のコピーが投函されていた。Hさんからのものであった。タイトルには、「イタリアではハゲがもてる」とあった。M先生から先のような遣り取りを聞いたのであろう。もてるHさんに嫉妬しているらしい禿げ頭の私を、からかい半分で励まそうとしたのであろうか。本当のところは励ますふりであろう(笑)。私がにやりと笑ったのは言うまでもない。その後Hさんと会ったので、「あのねえ、ここはイタリアじゃなくて日本だからねえ」と返しておいた。彼もにやりと笑っていた。
そんなことを書いていたら、映画にもなった『マディソン郡の橋』にまつわる話も思い出した。しかし、その話は恥ずかしくてとてもブログには書けない。今となってみると、じゃれ合うかのようにふざけあっていたあの頃が妙に懐かしく思い出される。しばらく前に、件のM先生も亡くなった。定年後M先生も含む何人かの先生方が、「酔人会」と称して時折集まっていた。そんな場に、この私も誘われるままに顔を出した。年寄りだけではなく少しは若いのもいた方が面白かろうと言うことで、お呼びが掛かったのである。そんな場でもHさんの評価は頗る高かった。ついでにそんなことまで思い出した。M先生はきっとHさんが大好きだったのであろう。
PHOTO ALBUM「裸木」(2023/12/10)
冬晴れの一日(1)
冬晴れの一日(2)
冬晴れの一日(3)