冬晴れの岬巡りから(上)

 二泊三日の一人旅に出たら、何だか急に腰が軽くなってあちこちに出掛けたくなり、12月の初めには三浦半島に二度足を延ばしてみた。家を出るまでは億劫に思ったりこともないわけではないが、家からそしてまたパソコンから離れてみると、気持ちが急に伸びやかになるのがわかる。映画なども見出すとクセになって立て続けに観ることも多いから、それと似たような現象なのかもしれない。泊まりがけだと、お金がかかるうえに宿泊先の予約も必要となっていささか面倒なので、三浦半島の岬巡りは日帰りのハイキングにした。

 朝の天気を眺めて、よければすぐに出発の支度に掛かる。そうすると、夜までにはかなりの自由な時間が生まれる。必要なのは、財布とカメラとスマホだけだから実に簡単である。最初に出掛けたのは、小網代(こあじろ)の森である。いつだったか新聞に紹介してあった記事を見てその存在を知ったのだが、末の娘から家族揃って出掛けてきたという話も聞いていたので、その気になったというわけである。市営地下鉄で上大岡に出て、そこから三崎口駅行きの京浜急行に乗り換え、終点の三崎口駅に着いた。自宅から三崎口までは1時間半ほどかかったことになる。

 近くにある油壺には小僧二人を連れて毎夏よく海水浴に来たものだが、彼らも大きくなり忙しくもなってきたので、このところとんとご無沙汰である。いま海水浴と書いたが、まあ磯遊びのようなものである。小さな網で蟹を捕るのに熱中していたあの頃が懐かしい。ここには京急マリンパークがあり小僧たちと何度か顔を出したことがあるが、今はその水族館も閉館して寂しくなった。当時は毎度クルマで来ていたから、京浜急行の久里浜線に乗るのは今回が初めてということになる。地元の人間でもそんなことがままある。

 駅前の観光案内所で、小網代の森への行き方を尋ねたところ、側を走っている三崎街道を渡り左に15分ほど歩くと入口の標識があるとのことだった。畑を眺めながらぶらぶら歩いていたら、すぐに標識は見つかった。右折して街道から離れたらもう森の入口である。入口の側に一風変わった食事処があった。「小網代の森 ひげ爺の栖(すみか)」と書いてあった。爺は「じい」と読ませるのか「じじい」と読ませるのかどっちなのか聞きそびれたが、まあ恐らく優しい響きの「じい」の方であろう。丁度昼飯時だったから、ここで腹ごしらえをすることにした。

 旧い料亭を改装したような店だったが、値段はそれほど高くはない。金目鯛のコース料理を頼んだが、これがかなり美味かった。あんまり美味かったので、魚を隅から隅まで食べ尽くしたところ、店の人から「綺麗に食べましたね」と褒められた。最初は別な座敷に案内されたのだが、先客の二人連れが話に夢中で煩かったので、部屋を変えてもらうことにした。老夫婦のようにも見えたが、女性の方が少し大きめの声でずっと喋り続けていたのが何とも嫌だった。きっと周りが見えなくなっていたのであろう。年寄りの私なども要注意である。

 食事をしコーヒーを飲んで満足して店を出た。そして森の中に入った。何となく森に分け入るといった感じである。綺麗に整備された木製の階段をしばらく降りると、その先には延々と遊歩道が続いている。季節が春や夏であれば、草花が咲き、蝶やトンボが飛び交い、小鳥が囀ったりしているのであろうが、冬の小網代の森は枯れた枝や草が一面に広がるばかりである。人影も見えない。終点の小網代湾に出るまでに出会ったのは、二組のハイカーだけだった。

 一見侘しい光景のようだが、冬晴れの日のこの静けさが何とも言えない心地よさを感じさせる。もしも小雨に煙るようであれば、山頭火の句「後ろ姿のしぐれてゆくか」を彷彿とさせることになるのかもしれない。ほんとうに何処までも静かだった。ついでに思い出したことを書き留めておけば、小出楢重(こいで・ならしげ)の絶筆とされる「枯木のある風景」、そして横山操の晩年の作「むさし野」や「ふるさと」に描かれた光景のようにも思われた。格好良く言えば、一人枯れ野を行くといった独行の心境とでもなろうか。

 そんなわけで、森の中では写真を撮る気にはなれなかったのだが、森を抜けて海に出てからは景色が一変した。小網代湾にはたくさんのヨットが浮かび、何とも壮観である。私はもともと田舎者なので、ヨットに乗るような金持ちがこんなにもいることがなかなか信じられない。近くにはヨットの修理工場もあり、シーボニアと名付けられた高層の立派なマンションもあった。ヨットを所有する人たちが滞在するためのものであろう。せっかくの機会だと思って、ヨットを活かした写真をたくさん撮ってみた。

 夏の海にヨットとくれば定番の感じがするが、冬の海であればそうでもない。いつもそうだが、定番ではない写真を撮ってみたいのである。そう言えば、昔関内にあった画廊に絵を見に出掛け、そこでヨットを描いた水彩画を買ったことがあった。プロではなく愛好家が描いた作品なので、大した値段のものではない。小網代湾に浮かぶヨットを眺めているうちに、昔のそうしたたわいもない出来事がふと思い出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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