久しぶりの同窓会に顔を出して(中)

 この同級会の後、幹事役を務めてくれたK君から写真の入った手紙を受け取った。K君は3年2組の時も級長を務めていたはずだが、そんなことからも分かるように、どういうわけかまとめ役が似合っているのである。人望があるということなのだろう。写真はOさんが撮ってくれたとあったので、Oさん宛に次のような礼状を書いた。一言にしては随分と長い(長すぎる-笑)礼状である。こんな礼状をもらって、Oさんもきっと困惑したことだろう。だからなのか返事はなかった(笑)。当然と言えば当然である。私の場合、こうしたことがよくあるのである。

 K君から同級会の時の写真受け取りました。そこに、「写真はOさんの提供」とありましたので、お礼のはがきを書く気になったというわけです。どうもありがとうございました。あらためてOさんをはじめ幹事のみなさんにお礼申し上げます。K君への礼状でもふれたことですが、いささか無理をして同級会に顔を出してみましたが(S君や、M君、N君、Sさんなど遠くから来た人は、みんなそうなんだろうと思います)、やはりそれだけのことはありました。

 もちろん懐かしい思いもこみ上げてきましたが、それにとどまらずに、みんなの話のなかから50年の人生の来し方の一端がうかがわれて、大変興味深いものがありました。仕事のことや自分の健康のこと、趣味のこと、結婚相手のこと、子供のことなどを自意識過剰にならずに普通に話せる時期に差し掛かってきたということなんでしょうか。中学校の頃は、なかなか自分に自信が持てず、「居場所」を探してあれこれもがいており、何ともうぶだったこともこともあって、男子生徒の中でさえ狭い付き合いしかありませんでした。

 しかし「前期高齢者」になってみると、いささか羞恥心もなくなって女性陣とも普通に話ができるまでに成長していました。その昔に話さえできなかった分を取り返したような心持になりましたね(笑)。今度Oさんをはじめみんなに会える時があれば、もう少し立ち入って自分の人生を語り、皆さんの人生についてもさらに踏み込んで聞いてみたいような気もしました。何はともあれ、ほんとうにお世話様でした。寒い時節です、お体ご自愛のうえどうかお元気にお過ごしくださいますように。一言お礼まで。

 続いて、今から5年前の2018年に開催された2回目の同窓会の話である。この時の近況報告には、次のようなことを書いた。「この3月に勤務先を定年退職しました。ようやく閑居の身となりましたので、研究活動に終止符を打ち、好きな本を読み気儘な旅でもしながら、雑文を綴ってみようかと考えています。好きなことを好きなときに好きなだけできるというのは素晴らしいことですが、こんな気分は一体いつまで持つものなのか。そのうちきっと飽きてくるんでしょうね(笑)」。仕事から離れたこともあって、何となくゆとりが感じられる近況報告となっている。

 同窓会に顔を出しても、小学校以来の知り合いであるTさんぐらいしか話し相手のいない私だが、この時には件のYさんも出席したので、彼女といろいろなことを話した。二次会か三次会の席に同じクラスの級友たちが数人集まったが、そんな場でYさんが「中学生の頃が一番楽しかったなあ」などとぽつりと呟いた。これまでの人生の苦労が偲ばれるような一言だったので、私はいささか切ない思いで聞いた。親の家業が立ち行かなくなったことは、大分昔に既に聞いていた。結婚して日立市に住んだYさんは、その後書道教室の教師を務め、そしてまた敬虔なクリスチャンとなっていた。そのYさんは2022年の年明けに亡くなった。元気でいたら今回の同窓会にも顔を出したに違いない。

 Yさんが亡くなった同じ頃、フリーの物書きとなって歴史小説を書いていたKも亡くなった。長患いとなったこともあって亡くなるまで高齢者施設で暮らしていたが、物も書けなくなったベッドでの暮らしに嫌気がさしていたのかもしれない。Kは同窓会というものを嫌っていたから、例え元気でいたとしても今回も出席はしなかったであろう。時折見舞いに行って雑談を交わせば、たまには中学時代の昔話となることもある。だが彼は昔語りは嫌なのだとよく言っていた。経歴自慢のようなものに付き合わされるのはたまらないとでも思っていたのか。そうであれば、その感覚は私もKと同じである。最近飲んだ元同僚のBさんも、似たようなことを言っていた。

 しかし昔語りにもいろいろある。そうした経歴自慢の昔語りとは別に、子供から少年や少女に変身し掛かっていたあの頃は、現在に繋がるような自分の原型が徐々に形作られていった時期でもあり、だからこそ格別懐かしく感じられる。そんな思いもある。女性という性にむやみやたらに憧れるなかで(この辺りは何となく「寅さん」のようでもある-笑)、自我が少しずつ固まり始めていたような気がする。私などよりずっと大人びていたKには、理解しにくい感覚だったのかもしれない。

 ところで、Tさんとは小学校以来の知り合いだと書いたが、この2回目の同窓会の折りに、「小学校の同級会なんて興味あるかしら」などと尋ねられた。もしかしたら興味のありそうな顔をしていたのかもしれない。憧れのYさんに会えるのであれば、是非とも顔を出したかった。Tさんは企画・立案するだけではなく実行力も兼ね備えた人であり、2016年の8月に同級生のやっている小料理屋でその同級会は開かれた。私の福島行に合わせてTさんが準備万端整えてくれたのである。この同級会の顛末については、シリーズ「裸木」の創刊号に「記憶のかけらを抱いて」と題して一文を書いた(もしも興味のある方がおられれば連絡ください。コピーを送らせていただきます)。

 そして今回の3回目となる同窓会である。出席者は39名であった。前回より20名近くも減っている。葉書に書かれた欠席者の近況報告を読んでいると、体調が今一つだったり、膝や腰の痛みで遠出できないと書いている人が多いのが目に付いた。後期高齢者ともなれば、そんな人が増えてきて当然だろう。近況報告でも触れたように私自身も前立腺ガンになった。長く生きれば、その分病を抱え込むことにならざるをえない。出席できた人は、あれこれあっても元気だということなのだろうから、慶賀すべきことである。

 欠席どころか、この5年の間に亡くなった人も何人かいた。同じクラスでは、先のYさんやKに加えてM君やS君やOさんも亡くなっていた。Oさんは、昔々友人たちと雄国沼にキャンプに出掛けた際に、夜「雨夜(あまよ)の品定め」のようなことになり、Kがお気に入りのようなことを言っていた人である。こんな話をブログに書かれて、Kも天国で苦笑していることだろう。70代に入ってからの5年という歳月は、なかなか残酷なものであり、改めて自分の死生観を問われているような思いがした。現在の私は、人は皆還暦を過ぎる頃まで生きてくれば、自分の人生というものを生ききって亡くなるのではないかと思っており、そんなふうにして死というものをできるだけ自然体で受け止めようとしている。

 今回の近況報告には、以下のようなことを書いた。「昨年から今年に掛けて、前立腺ガンの放射線治療や白内障の手術と続きましたが、現在は何時もの落ち着いた暮らしに戻っております。愉しみは、定年退職後に老後の道楽として始めたブログや心象風景を切り取った写真で、カメラ片手にあちこち徘徊し飽きもせずに雑文を綴っております。このところ、帰郷するたびに「古き山河にちちははの匂い」という言葉が思い出されるようになりました。年寄りの懐旧の情なんでしょうね」。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/12/18

冬空に漂う(1)

 

冬空に漂う(2)

 

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