七沢温泉にて(続)

 今回の小旅行の私にとってのお目当ては、福元館だった。出掛ける前に、ここの離れで書かれたという「オルグ」を読んでみた。取り上げられたテーマは深刻と言えば深刻なのだが、緊迫感を漂わせながらも、疾走するようなスピーディーな展開、何とも軽やかで歯切れの良い文体、それにユーモアもところどころに散りばめられていて、面白く読むことができた。私は多喜二の熱心な読者でもないので、そんな読後感がちょっと意外にも感じられた。

 上記のような思いでいたからなのか、『しんぶん赤旗』の日曜版(2021年4月4日号)に登場したミステリー作家である柳広司のインタビュー記事が目に留まった。彼の新著『アンブレイカブル』(角川書店、2021年)には、1925年成立の治安維持法によって葬られた小林多喜二、鶴彬、和田喜太郎、三木清が登場しており、作者は記事の中で、多喜二の「蟹工船」もミステリーの手法を用いたエンターテインメントだと語っていた。同感である。

 『アンブレイカブル』(宣伝のコピーには、「破れざる者たち」とある)に登場する多喜二は、何とも爽やかな好青年で、プロレタリア文学の世界で大衆的な人気作家となったのは、色紙にあった「飯を食えない」人々の現実をしっかり踏まえて、干からびた「料理の本」など及びもつかないような、エンターテインメント性のある作品を次々と書き上げていったからであろう。

 多喜二は治安維持法違反で逮捕され、逮捕されたその日のうちに築地警察署で虐殺されるのであるが、その治安維持法とはいったいどんなものだったのだろう。福元館の離れには,治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟が作成した「治安維持法犠牲者に国家賠償法の制定を求める請願」と題したチラシが置いてあった。そこには以下のようなことが記されていた。

 戦前、天皇制政治のもとで主権在民を主張し、侵略戦争に反対したために、治安維持込で弾圧され、多くの国民が様性をこうむりました。治安維持法が制定された1925年から廃止されるまでの20年間に、逮捕者数十万人、送検された人68,274人(起訴6,550人)、警察署で虐殺された人93人、刑務所・拘置所での虐待・暴行・発病などによる獄死者は400人余にのぼっています。

 治安維持法は、日本がポツダム宣言を受諾したことにより、政治的自由への弾圧と人道に反する悪法として廃止されましたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていません。世界では、ドイツ、イタリア、アメリカ、カナダ、韓国、スペイン、イギリスなど主要な国々で戦前、戦中の弾圧儀牲者への謝罪と賠償が進んでいます。

 日本弁護士連合会主催の人権擁護大会(1993年10月)は、「治安維持法牲者は日本の軍国主義に抵抗し、戦争に反対した者として.…その行為は高く評価されなければならない」と指摘し、補償を求めています。私たちは、「ふたたび戦争と暗黒政治を許さぬ」ために、国が治安維持法犠牲者の名誉回復をはかり、謝罪と賠償をすることを要請します。

 以上がチラシの全文である。私のような人間は、治安維持法による犠牲の全貌とともに、多喜二を凄惨な拷問で殺害した人間とはいったいどんな連中なのかということも知りたくなる。ネットで検索してみたら、次のようなことが分かった。こちらも要約して紹介しておく。

 戦前でも拷問は禁止されており、虐殺に関与した特高警察官は殺人罪により「死刑又は無期懲役」で罰せられて当然であった。しかし、警察も検察もメディアも一体となってこれを隠蔽し、逆に、昭和天皇は、虐殺の主犯格である安倍警視庁特高部長、配下で直接の下手人である毛利特高課長、中川、山県両警部らを叙勲し、新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と報じたのだという。

 1976年には日本共産党の不破哲三書記局長(当時)がこの事件を国会で追及したが、政府は拷問の事実を認めることはなかった。過去に目をつぶり隠蔽するような姿勢は、現在の政府にも依然として引き継がれているのである。上記のような事実を知ると、現在の日本社会の底流には戦前が今でも息づいており、過去は何一つ清算されてはいないことがよくわかる。臆面もなく戦前回帰を標榜して活動を続ける「日本会議」の存在などは、その象徴であろう。

 それにしても、安倍、毛利、中川、山県といった連中は、戦後をいったいどのようにして生き延びたのであろうか。彼らに勲章まで授けた昭和天皇が、「平和主義者」として生きながらえたのであれば、勲章を授かった彼らも、何の罪に問われることもなく天皇と同じような戦後を辿ったに違いない。そんなことをも思い出させた福元館だった。

 柳広司の『アンブレイカブル』は連作集であり、多喜二を取り上げた章のタイトルは「雲雀」(ひばり)となっている。柳が多喜二を春の雲雀に例えたのは、作者なりの多喜二に対する深い敬意と共感があるからであろう。印象深い箇所なので、長くなるが引用してみる。

 すげえ。谷(蟹工船で働いた労働者-筆者注)は小説を読みながら、途中何度も息を呑み、あるいはゲラゲラと声に出して笑った。オレたちから聞いた話なのに、あの人はまるで自分の眼で見て書いているみてえだ。そう考えて、すぐに思い直した。いや、そうではない。逆だ。なるほど、小説に書かれているエピソードはどれも自分たちが小林多喜二に話したものだ。だが、聞いた話をただ並ベたのではこんな小説には決してならない。

 小説を読んで谷は、妙な話だが、自分が乗っている蟹工船がどんなところなのか初めてわかった気がした。小説を読むということは、あの人の、小林多喜二の目でこの世界を見るということだ。小説では蟹工船での労働が、くっきりとした線で生き生きと描き出されている。蟹工船が如何に地獄なのか、それだけではなく、如何にして地獄なのかが自ずと伝わってくる。

 そのくせ、読後感は不思議と明るい。小林多喜二は根本的なところで人間と労働に対して信頼を寄せている。たぶん、そのせいだ。谷の脳裏に、早春の空のきわめて高い場所で囀る雲雀の姿が浮かんだ。鷹も烏もハヤブサも、かれは少しも恐れる様子もなく、空の一角で囀ることで春の訪れを告げる。雲雀の声を耳にして、地上の者たちは春が来たことをはじめて知るのだ。

 柳はこんなふうに書いているのだが、この文章も胸に染みる。そして美しい。多喜二の虐殺に関わったあまりにも愚劣な連中を恐れることもなく、雲雀は今でも高い空から我々に春を告げようとしているのであろう。『アンブレイカブル』に触発されて、多喜二の作品を、裃(かみしも)を脱いで肩肘も張らずにもっともっと読んでみたくなった。
 

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