グッピーをもらって
しばらく前に、同じ団地に住む知り合いのDさんからグッピーをもらった。そのDさんは、近くの公園で行われているラジオ体操に顔を出しており、そこでやはり同じ団地に住むMさんから、グッピーを分けてあげると言われたらしい。このMさんはグッピーの愛好家のようで、家で沢山飼育しているとのことであった。増えていくので、知り合いに分けてあげているのだという。ペットショップでは売り物になっているグッピーをただでやるというのだから、何とも気前のいい話である。
先のDさんから、電話で「高橋さんも欲しいですか」と尋ねられたので、もらえるものなら何でももらいたい質の私としては(笑)、欲しいと答えておいた。そうしたら、しばらくして我が家に10匹ほどのグッピーがペットボトルに入れられて届けられた。愛好家のMさんは、グッピーの美しさを七宝焼きのようだと評していたらしいが、そこまでかどうかは別として、なかなか綺麗な小魚である。
幼い頃に、私は田圃の畦にある川ででよく魚すくいをした。橋を渡って遠くに出掛けることが、一寸した冒険のようにも思えていて、何時も楽しかった。その頃は網で魚を獲ることの方が面白く、獲ってきた魚を大事に育てたりはしなかった。容器に入れて時折エサをやって放っておいただけだったから、しばらくするとみんな死んだ。その頃の私は、観賞のために魚を育てようとする気持が薄かったのであろう。お祭りの金魚すくいで手に入れた金魚なども同じで、しばらくすると死んだ。ただ、身近にそんなものがよくいたから、小さな生き物がいる暮らしが嫌いではなかったのだろう。子供なら誰でも皆そうなのかもしれないが…。
こんなことを書いていて、やはり幼い頃に雷魚という大きな魚が家にいたことを思い出した。父親に連れられて稲荷神社のお祭りに出掛けた際に、買ってきたのではなかったか。家では大きな瓶に入れられて縁側の奥にいた。あまり見掛けないいささかグロテスクな魚だったので、少しばかり無気味な気持で眺めていた。つげ義春の「近所の景色」(ちくま文庫、2009年)という漫画を読んでいたら、そこにも雷魚が登場していた。彼の作品が味わい深いことを今更わざわざ書く必要もなかろう。それよりも私には雷魚の方がやけに懐かしかった(笑)。
結婚し子供が小学生になった辺りから、金魚やタナゴやメダカなどをペットショップから買ってきて、少しは本気で育てるようになった。子供たちを喜ばせようとしたこともあったのかもしれない。濾過器の付いた立派な水槽をおいたこともあるし、広々とした鉢に入れて飼っていたこともある。比較的長く生きたものもあったが、いつもなかなかうまくは育てられなかった。そのため、仲町台駅の近くにあるペットショップに何回も足を運んだ。そのうち、濾過器の清掃がたいへんだったり、大きな鉢の水替えが面倒だったりしたこともあって、魚を飼うことから離れた。子供たちが進学などで家にいなくなったことも影響していたのかもしれない。その頃から大分年月が経った。
そんな時に登場したグッピーである。Dさんからも飼育のための注意書きをもらったし、家人が元々の飼い主であるMさんと知り合いだったこともあって、飼育のポイントを教えてもらい、私に伝えてくれた。あらためて水槽と砂と水草とエサを買い、水槽の水を一日おきに取り替えることにした。水槽は洗わないで、3分の1ほどの水を入れ替えていけば、濾過器はなくても構わないとのことだったからである。入れ替える水は、水道水を日光に曝しておいたものである。そうするのは、水道水に含まれる塩素を取り除くためらしい。あとは日に2~3度市販のメダカのエサをやるぐらいである。結構原始的な飼い方であるが、これなら続けられそうな気もした。
もらった当初は、受け取った注意書きも適当に読んでいただけだったので、しばらくして半分近くが死んでしまった。1匹は元気が良すぎたのか、水槽から飛び出して死んでいた。教えてもらった飼い方をきちんと守っていなかった所為なのであろう。これではならじと、心を入れ替えて言われたことをきちんと守り始めたら、その後は一匹も死ななくなった。我が家にグッピーを持ってきてくれた先のDさんは、とうに全滅させてしまったらしい(笑)。
ところでこのグッピーだが、ウィキペディアで調べてみたら、その名は発見者である植物学者のグッピーに由来すると書かれていた。生物学者なら分かるが、植物学者というのが面白い。水辺で植物を採集しているうちに、発見したのかもしれない。発見者や発明者の名前を冠するなどというのはよくあることなので、さほど珍しくはない。しかし、その名がサンドイッチ伯爵やギロチン医師のように遍く世界に知られているのは、そんなに多くはないのかもしれない。グッピーなどはよく知られている方だろう。このウィキペディアはただで使える百科事典だということなので、何処までが本当なのかよくは分からないから、まあ適当に読んでおくのでいいのだろう。
熱帯魚として広く親しまれており、飼育は容易だとのことであるが、同じ個体の維持は容易ではなく、その工夫に凝りだすと切りがないらしい。そのために、「熱帯魚飼育はグッピーに始まりグッピーに終わる」と言われることもある、などと書かれていた。いささか深遠な物言いだったので、ちょっと笑えた。昔かじっていたダンスで言えば、「ナチュラルターンに始まりナチュラルターンに終わる」といったところか。Mさんは、果たしてどれほどの凝りようなのであろうか。そのうち聞いてみるつもりである。
ところで、この百科事典では実にいろいろなことが調べられるようなので、ついでにと、知り合いの何人かの方々の履歴や業績などを眺めてみた。そうしたら、知りたくもないようなことまで知る羽目に陥ってしまった。何ともうんざりした嫌な気分である。本人にしか書けないような内容まで含まれていたので、おそらくご自分で書かれたものなのであろう。私は世間に自分を知らしめたいなどとはまったく思っていないが、年を取ってくると、生きる構えといったものさえ知らず知らずのうちに弛緩してくるのかもしれない。心しておかなければならないことであろう。
水槽で元気に泳ぐグッピーを見ているとなかなか可愛いものだが、飼い主のこちらは凝り性ではないので、魚の方も適当に飼われているのであろう。現金なもので、エサをやる時だけ水面に顔を出して愛嬌を振りまく。まあ人間も同じようなものであろうが…(笑)。それでも、飼い主の鬱屈など何処吹く風のように屈託なく泳ぎ回っているので、どこか清々しい。