この夏に観た映画から(二)-『流麻溝十五号』のことなど-

 前回のブログで『花物語』について書いたので、今回はその続きである。ところで、前回のブログの原稿はかなり早めに書き終えていた。何故かと言えば、9月の9日から12日に掛けて、社会科学研究所の夏季実態調査で岡山の倉敷に出掛けることになっていたし、帰途の途中に兵庫の小野市に住む大学時代の友人を訪ねることにしていたからである。長期に渡って出掛けるのであれば、その前に原稿を書き終えておかないと毎週金曜日にブログを更新できなくなる。だから先に書きためておいたのである。このあたりはやけに律儀で真面目である(笑)。何故そうなるのかと言えば、ブログを更新するリズムを崩してしまうとついついそれが癖になり、いつの間にか間隔が空きそうになるような気がするからである。意志薄弱な人間にとっては、やはり規則正しい生活のリズムというものは大事なのではあるまいか。

 渋谷のシネマヴェーラもそうだったが、横浜にもミニシアターと呼ばれる映画館が2館ある(私に知っているのは2館だけだが、もしかしたら他にもあるのかもしれない)。一つは、地下鉄の伊勢佐木長者町駅からしばらく歩いたところにあるシネマリンであり、もう一つは、隣の阪東橋駅から行くジャック&ベティである。この私は、映画は好きだがミニシアターにまで足を運んで観るような「通」ではないので、これまでに出向いたのはシネマリンに2,3度といったところである。今回観に出掛けた台湾映画『流麻溝(りゅうまこう)十五号』は、私が初めて行くジャック&ベティで上映されていた。この映画も知り合いの大塚さんから紹介された。私がこの春に台湾に出掛けてブログに「台湾感傷紀行」を書き、そこで2・28事件にも触れたので、親切な彼はこの映画のことをわざわざ私に教えてくれたのである。

 シネマヴェーラに出向いたときも道に迷ってうろうろしたが、今回もそうなる恐れが大だと思い少し早めに家を出た。案の定迷ったが交番が目に付いたのでそこで道を尋ねたところ、近くまで来ていたこともあって直ぐに辿り着くことが出来た。しかし今度は、早く着きすぎたために映画館のシャッターは降りたままであり、何人かの方がその前に佇んでいた。知らないところに出掛けると物珍しさのあまりあちこち徘徊したくなる性癖があるので、路地裏を歩いてみた。変わった店があり、変わった人がおり、もう一つの横浜があった。何だか迷宮に迷い込んだかのようである。渋谷に出掛けた日も暑かったが、この日も同様であった。路地裏から空を眺めたら、建物の間から見えた夏の空と雲がじつに鮮やかだった。

 『流麻溝十五号』は、蒋介石の白色テロによって逮捕され、綠島にあった収容所に収監された女性政治犯の世界を描いた作品である。彼女たちのことが描かれたのは初めてだという。シリアスな映画なので、気軽に愉しむわけにはとてもいかない。台湾の歴史の傷みを真っ正面から取り上げ掘り下げた、骨太な作品なのだから、当然であろう。映画を観ているの観客の方まで、ヒリヒリした気分になってくる。台湾で女性の監督がこうした作品を手掛けたことにも驚いた。数々の映画祭に招待されたようだが、それだけの重みのある作品だった。購入したパンフレットには次のように記されていた。 

 日本統治時代が終わり、 1949年に中国での共産党との戦いに敗れた蒋介石とともに台湾にやってきた台湾国民政府による、恐怖政治下で戒厳令が布かれていた時代 「白色テロ」。 台湾南東岸に位置する面積約16平方キロの自然豊かな島・緑島。 第二次大戦後、 この島には30年以上もの間、政治犯収容を目的とした教育施設と監獄が置かれていた。 思想改造及び再教育を目的とした 「新生訓導処」 は1951年から1970年まで設置され、収監された人々は名前でなく番号で管理されていた。映画のタイトルとなった『流麻溝十五号 (原題:流麻溝十五號」)』は、身分も年齢も違う女性たちが収容されていた住所である。 当時、 政治思想犯として拘留されていた者の中には14歳の子どももいた。

 またそこには、ノンフィクション作家の加藤直樹や台湾に関する深い学識を持った大東和重らも一文を寄せていた。そもそもこのパンフレット自体が読み応え、見応えがあり、映画を観たうえで通読すれば、この映画が制作されることになった背景が十分に理解できるように作られている。今時珍しい程の内容の濃さである。先の加藤は、「『自分』であろうとした人びとの記憶」と題して、「緑島の収容者たちの苦難を知ってほしいというのが周美玲監督の一つの思いだろう。それでも、人間の尊厳を正面から踏みにじる暴力が繰り返し描かれている中でも映像と演出が繊細で美しいのが印象的だ。 そこから伝わってくるのは、あの時代を生きた人びとへの愛情である。この作品はしかし、人びとの受難だけを描いているのではなく、むしろその抵抗を描く物語である。 彼女たちは、あきらめずに『自分』 であろうとしたのだ」と書いている。

 抵抗を止めない女性政治犯達のリーダー役となるのが、看護師の厳水霞(イェン・シュェイシア)である。なかなかに興味深い人物として描かれている。抵抗すれば処罰される。 そして人間であろうとすれば、よりひどい形で人間としての尊厳を奪われることにもなる。 それでも、厳は毅然として前を向く。思想を持つことは罪ではないと信ずるからである。 「身体を傷めつけられても、信念があれば乗り切れる」、「大きな犠牲は、それだけ大きな抵抗をもたらす」と語って、最後は怯えることも動ずることもなく静かに刑場に向かい銃殺されるのである。涙なしには見ることが出来ないシーンである。台湾の人びとが潜り抜けてきた戦後の白色テロの時代とは、そんな時代だったのである。我々の知らないもう一つの台湾が、深く鋭くそして力強く描き出されていた。最後に流れる主題歌が印象深かったことも付け加えておきたい。

 肅然とした思いで映画館を後にして通りに出たら、後ろから声を掛けられた。地元の社会運動で知りあったTさんだった。渋谷のシネマヴェーラでは大塚さんと顔を合わせたが、横浜のジャック&ベティでも知り合いと顔を合わせたことになる。たんなる偶然とはいえ驚いた。聞けばTさんは今でも台湾と深い繋がりがあり、今年も出掛ける予定だとのことだった。彼は台湾の政治にも関心を払っている人だったので、『流麻溝十五号』にショックを受けたと語っていた。丁度昼飯時だったので映画館の側で食事をし、その後横浜橋商店街に出て旧き良き時代の通りを眺め、近くにあった喫茶店でお茶を飲みながらしばし歓談した。私もそうだったように、Tさんもまた遠くに過ぎ去った青春時代のことを思い出していたに違いなかろう。

(付 記)

 この映画を観て、流麻溝十五号が政治犯の収容された建物の住所表記だと知った。それでふと思い出したことがある。この春台湾に出掛ける前に『海角七号 君想う、国境の南』を観たのだが、タイトルにある海角七号は、60年前に書かれた7通のラブレターに記された住所のことだったのである。そんなことも知らずにこの映画を観ていたわけだが、迂闊と言えばあまりにも迂闊。大ヒット作だということもあり、いささか斜に構えて観ていたためであろう。先のことを知って、『海角七号 君想う、国境の南』に俄然親近感が湧いてきた。機会を見て再見しようかと思っている。 

                                                                                
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