「飲み会」三態(完)-飲み会放浪記(続)-
当初は、前回の投稿で「『飲み会』三態」を終えるつもりだったが、どうにもうまく終えられない。だらだらと書いているうちに話が長くなってしまうのである。年寄りの長話(「ながばなし」よりも「ながっぱなし」の方が感じが出ている-笑)のようなものなのかもしれない。話だと聞かされる方はたまったものではないが、文章であれば読まなければいいだけの話なので、その辺りが違うと言えば違うのだが…。よく「下手の長談義」と言ったりするが、それと同じで、文章もまた下手だから長くなるのかもしれない。このブログなど「下手の横好き」のようなものだから、直したくても直すに直せないのだろう(笑)。しかし、今回は正真正銘の最終回である。
最後は、11月の末にあった二つの飲み会にまつわる話から。一つは、長い付き合いのあるWさんとの飲み会である。定年で仕事を辞めたので、その慰労も兼ねて渋谷で会った。そんな気持ちでいたのはこちらだけで、彼の方は久闊を除すといったところだったかもしれない。前にも触れたように、何処かに出る時には、ついでに気の向くまま足の向くままにあれこれの所を徘徊することが多い。そんな癖がいつの間にか身に付いた。毎週のようにブログに投稿しているので、その材料を見付けたいと思っているからなのであろうか。
この日に決めたのは、団地の知り合いで写真家のSさんから写真展の案内状を既にもらっており、この日に行くと伝えてあったからである。そうであれば、早めに家を出て昼食をとり、写真展を覗きその後お茶でも飲んでから渋谷に向かう、そんな行程がいいように思われた。顔を出すのは2回目だということもあって、写真展の開かれるギャラリーは直ぐに見付かった。そこでまずは昼食をとろうと思い、近くをぶらついた。表参道や青山辺りはオシャレな街のようで、そんな匂いが店の佇まいにも漂っていたし、街を歩く人もどこか気取っているようにさえ感じられた。きっとこちらが相変わらずの田舎者の所為であろう(笑)。
ぶらつきながらショーウインドウを眺めていたら、イタリア製のバッグが12万円とあった。ふーんと思ってよく目を凝らして値段を確認したら、120万円の間違いだった(笑)。そんなことに驚くようでは、こちらの浮世離れも相当なものなのだろう。誰が買うのか知らないが、こうした虚飾まみれの世界に今の私は何の興味も関心もない。「どうぞご随意に」と呟くだけのことである(笑)。夜に飲み食いするのだから、昼は軽目にしておこうと思ったが、こんなオシャレな街ではなかなかこれといった店が見付けられない。田舎者の年寄り一人だから、尚更である。
そうこうしているうちにある寿司屋が目に留まり、ランチコースは安そうだったので入ってみた。一人で寿司屋に入り、カウンターで食べてみるのは初めての経験である。価格表示のない寿司屋などは、敷居が高くて私などはなかなか入れないからである。黙って食べているのもどうかなあと思い、こちらはまったくの素人なんだから知ったかぶりなどせずに、あれこれと素直に尋ねてみた。綺麗で上品な店だが、寿司を握っている職人さんはとても気さくな人で、雑談を挟みながらいろいろと教えてくれた。私もそうであるが、彼ももともと表参道界隈にいるような人種ではないのだろう(笑)。
安くて美味しい寿司を食べ、満足して店を出て、その後写真展を見て廻った。今回のSさんの作品は、アメリカのデスヴァレーで撮ったものだった。デスヴァレーはラスベガスの側にあり、その名の通りのまさに死の谷である。以前見た裸木や古木や枯れ葉を撮った心象風景の写真から、そのアングルは砂漠の大地に向かっており、切り取られた構図は一変していた。初のアメリカ撮影行だということなので、もしかしたら何処かに心境の変化があったのかもしれない。彼は「できたら、一人で、長期に、何の当てもなく、撮影旅行をしてみたい」と語っていたが、同感である。そんな夢があるということは、案外大事なことなのかもしれない。
何処かでお茶でも飲もうと思って駅の改札口の前に出たら、根津美術館の案内板が目に付いた。折角の機会だからと思い顔を出してみた。浮世離れした私のことだから、根津美術館は文京区の根津にでもあるんだろうと思い込んでいたが、こんな所にあったので驚いた。名前は美術館の創設者である根津嘉一郎に因んでいるとのこと。私は、成功した実業家が贅を尽くして蒐集した古美術品などにもともと興味はないので、いささか退屈気味に眺めただけだったが、手入れの行き届いた庭はなかなかのものだった。なるほど「市中の山居」と称するだけのことはある。ちょうど紅葉の季節に入っていたので、紅葉狩りとしゃれ込んだ。
その後、昔懐かしい渋谷の街をあちこち徘徊してから、待ち合わせの場所に向かった。渋谷も大分様変わりしており、年寄りには縁のない場所に変貌している。Wさんと会うのは久方ぶりなので、あれこれと話が弾んだ。二人でしか話せない懐かしい話もたくさんあるので、鍋をつつきながらの話は尽きることがない。一頃体調を崩していたようだが、今はすっかり良くなったとのことであった。お酒も旨そうに飲んでいた。そんな彼につられて、私の酒もすすんだ。彼の話によると、昔の生活からすっかり縁を切って、今は家庭菜園にはまっているとのことだった。農園を借りていろんなものを作っているらしい。
私の周りにも、仕事を辞めた後農業を始めた人が少なくとも5人はいる。土を耕し、作物を育て収穫するという行為は、自然とふれ合い心身を伸びやかにさせるものなのかもしれない。退職後の農は、「作業」ではあるが広義の「働く」ことでもあり、四季の移ろいを愉しみながら、繰り返していくことができるのも、魅力なのだろう。私がブログに投稿することなども、同じようなものである。Wさんは、「昔を懐かしむような集まりはもう遠慮したい」とのことだったので、この先いつ会えるのかは分からない。二次会でハイボールを飲みながら、また顔を会わせる機会があればいいのだがなどと思いつつ、彼の話に耳を傾けた。
そして最後は、ゼミの卒業生4人との飲み会である。幹事のM君からの誘いだったので、顔を出してみることにした。彼は律儀者で、私が顔を出すと感激するので、断るに断れない(笑)。出掛けてみたら予定外のD君もいた。相変わらず元気な喋りっぷりだったので、大きな心配事はないのだろう。あとは、元教師に過剰なまでの敬意を払うO君と、昔から一人我が道を行くH君である。みんな40歳前後となっているのでもはやいい大人であるが、私からするとどうしてもゼミ生感覚が抜けない。そのために、言わずもがなの余計な話をしてしまう。連中は元教師の話なので、神妙に聞いている振りをしている(に違いなかろう-笑)。困ったものである。
集まった場所は、麻布十番駅の側にある韓国料理の店「グレイス」である。参鶏湯(サムゲタン)が美味しいとのことだった。私にとっての韓国料理は、精をつけるための焼き肉しかない(笑)。しかし、参鶏湯もなかなか美味だった。彼らの年代は、「働き盛り」であり「男盛り」でもあるから、いろいろなことが起こるのであろう。私が知らないような話も所々に出てきた。どんな状況になっても生き抜いていける底力が欲しいのは勿論だが、それに加えて、どんな弱音でも吐ける友人が側にいればそれに越したことはない。
この辺りの麻布、赤坂、青山、六本木界隈は私のような年寄りが徘徊しているところではないので、何の馴染みもないのだが、彼らには結構身近な場所らしい。二次会では、顔の広いH君が「ラ・ボエーム」(因習に囚われない自由人の意だとのこと)という店に案内してくれた。そこで美味しいワインを飲んだ。仕事柄H君はワインには詳しいはずだが、私のような素人が聞けばあれこれと教えてはくれるものの、自ら長々と蘊蓄を傾けるようなことはしない。その辺りが何とも大人である。しかも、飲み食いした支払いをさりげなく先に済ませてくれていた。何と心憎い振る舞いではないか。できることなら、次回も同じようにお願いしたいものだが…(笑)。
帰りはM君と一緒だった。彼はなかなかの仕事ぶりで、かなり有能なサラリーマンを演じているようだった。夫としてカミサンを大事にし、父親として子供を大事にし、サラリーマンとして仕事を大事にしているようなので、私があれこれと語る必要もないのだが、ここに至るまでにはそれなりの苦労もあったらしい。ゼミの卒業生は皆、世間の常識という重圧の中で、同じような苦労を重ねているに違いない。そんな時こそ、毎度毎度口を酸っぱくしてゼミで言い続けてきた科白、「常識にとらわれない自由な精神」を思い返してもらいたいものである。忘れてもらっちゃ困ることは、ある。まあ、言わずもがなの元教員の繰り言に過ぎないのではあるが…(笑)。
6回も続いた「『飲み会』三態」を終えるにあたって、どんな結末にすればいいのかあれこれ考えてみたが、「下手な考え休むに似たり」とはよく言ったもので、いいアイディアがまったく浮かんでこない。考えてみても仕方がないということなのか(笑)。先月にあれだけあった飲み会も、今月に入ったらぱったりなくなった。今日は12月の半ば、雨模様の寒空である。そんな静かな冬の日に、この間の飲み会の様子などを思い出しつつ文章を綴ったりするのは、甲とはいかぬがなかなか乙なものではないか。それだけでいいような気もしてきた。