「芸術の秋」雑感(二)-音楽を聴く-
まず、この秋最初に出掛けた音楽会について記してみよう。「芸術の秋」と言った時に、私にとってもっとも縁遠いのは、演劇や音楽の世界である。舞台などは昔々の若い頃に二度ほど見に出掛けたきりである。どういうわけか縁が無い。その後ゼミに演劇サークルに所属していた学生が現れ、大学祭の時の公演に誘われたので、二度ほど見に出掛けたことがある。こちらは素人の演劇なので特に触れなくてもいいのかもしれないが、大学生の演劇はどういう訳か高尚だったり、難解だったりするものだなあなどと感じた。
もう一つ私にとって縁が薄いのが音楽の世界である。これまでに生きてきた過程で音楽に触れることが少なかったこともあって、まったくと言っていいほど素養が無いのである。労研時代に一緒だった鷲谷さんも音楽にやたらに詳しかったが、大学の元同僚にも、クラシックやオペラ、ジャズに詳しい友人たちが結構いた。特にクラシックなどは、大学の教員たる者少しはかじっておかなければならないような雰囲気さえあったが、結局その気になれなかった。体質に合わなかったのであろう。
若い頃に音楽に触れることが少なかったと書いたが、触れることが少なければ、当然ながら音楽の素晴らしさを体験することもない。福島の実家は、貧しかったこともあって音楽とは無縁の世界だった。レコードプレーヤーもなかったし、楽器もなかった。父は音楽などとはまったく無縁な人間だったが、母がどうだったのか本当のところは知らない。だからなじみが無いのである。小学生の頃に音楽の時間が楽しいと思った記憶はまったくない(笑)。
さらに付け加えておくならば、クラシックファンなどといったハイブローな趣味の人に対して、羨望とともに軽い反発を感じていた所為もあるのかもしれない。自分の持っていないものを持っている人に対する羨望の裏返しとして、反発を感じることなどどこにでもよくある話ではあろう。もっとも私には、そうした反発をストレートに表出することはあまりにも貧相であると感じる心の動きもあって、表に出すことはほとんどない。だが、そうした反発を感じている自分がいることだけは、自分自身がよく知っているのである。
話を元に戻せば、大学のオーケストラに所属していた知り合いの元同僚やゼミ生もいたので、誘われて何度か近くにあった区の公会堂や川崎市の音楽ホールにに出掛けたこともあった。また高校時代の友人の一人は声楽家でもあったので、彼の歌を何度か聴きに行ったこともある。しかしながら、座り心地の言い椅子に身をもたせ、心地よい音楽に耳を傾けていると、いつの間にか寝入ってしまうことも時にはあった(笑)。
元ゼミ生の森君は心優しい学生だったので、そんな話をしたら「先生、それでいいんですよ」などと言ってくれた。そんな彼の優しさに感じるところもあって、彼から演奏会の案内があると都合を付けて出掛けようとする。何だか応援したくなるからである。去年もそんなふうにして杉並公会堂まで出掛けた。
ところで前回触れたように、この秋には家人の教え子である高橋さんの出演する演奏会に出掛けた。彼女の場合はどうだろうか。担任の教師であった家人を慕って、あるいはまた家人に演奏を聞いて欲しくて、さらにはチェロの演奏家として成長した姿を見てもらいたくて、毎年案内状をくれるのかもしれない。私は時々家人について行くだけである。高橋さんの願いは、「身近で気軽にクラシック音楽に触れて欲しい」との言葉に託されているようなので、普段着でさらりと会場に行くのでいいのだろうと思っている。
プログラムには、ピアノを中心としたシューマンの作品、ヴァイオリンとチェロを華やかに用いたラロの作品、べートーベンならではの味わいのある作品を届けたいとあって、三曲並べられていたが、私などは勿論どれも知らない。知ったかぶりをする気などもともとまったくないので、楽曲についてあるいは演奏について何かを語ることなどできない。ただ美しい音楽の世界に身を委ねただけである。
青葉台にある会場のフィリアホールは、とても立派なホールであった。コロナ禍だということもあって、両隣を空けて座わるようになっていた。もともとこの演奏会は6月に予定されていたとのことだが、感染拡大で中止を余儀なくされ、今回ようやく開催の運びとなったとのことであった。出演した三人の演奏家たちは、この間マスクを着用して練習に励んできたらしい。
演奏が終わり、3人がそれぞれ一言ずつ今の思いを語った。聞いていて、ようやく開催に漕ぎ着けることができた喜びや、こうした時期に演奏会に出掛けてくれた人々への感謝の念が、言葉の端々に滲み出ていた。高橋さんの挨拶は、思いが極まって涙声になっていた。演奏家が演奏できない苦しさとはどのようなものなのか、その一端を垣間見る思いだった。家人も私も、彼女の演奏会に来年もまたきっと顔を出すことだろう。
アンコールに応えて演奏してくれた楽曲の一つに、「ユー・レイズ・ミー・アップ」があった。多くの歌手が歌っているポピュラーな曲だったので、音楽に無知な私も何処かで聞いた記憶があった。私が聴いたのは、ヘイリーが歌っていたものだった。You Raise Me Up だから日本語に訳せば、あなたが私を立ち上がらせ、背中を押し、励まし、勇気を与え、奮い立たせてくれるということになるのだろう。今のように苦しい時代だからこそ、口ずさまれるべき曲なのかもしれない。これを最後に選んだ3人の思いも、きっとそこにあったに違いなかろう。
ヘイリーの歌声も美しかったが、ネットで検索していて感じるものがあったのは、以下の映像である。小雨落ちる冬の街頭で、聴衆一人ひとりの人生を励ますかのように力強く歌っているので、その歌声が心に染み入るのである。彼の歌声に聞き入る聴衆の表情もなかなかに印象深い。映画のワンシーンを見ているかのようである。歌っている人がどんな人なのか、私は何も知らない。
https://www.youtube.com/watch?v=S0mOXC8pJfM&list=FL3j3C_b3mlUZWgK-UHOnovQ&index=234