「年金者文化展」に顔を出して
私が年金者組合の組合員になり、毎月行われるウオーキングに顔を出し、そしてまたそのたびにブログに投稿していることは、このブログを覗きに来られている方には周知のことであろう。いま、ウオーキングは毎月行われると書いたが、8月だけは例外である。暑い最中の外歩きは年寄りにはきついので、主催者の方が配慮されているからであろう。そしてその代わりと言っては何だが、「年金者文化展」が毎年8月に開催されているとのことであった。
もらったチラシによると、この文化展は2021年第18回3支部合同(緑、青葉、都筑)「年金者文化展」と銘打たれていた。今回が18回ということだから、始まってから大分年月が経っている。しかしながら、私は組合員になってまだ間もないので、出掛けたのは今回が初めてである。開催期間は8月20日から23日となっていたが、22日が横浜市長選挙の投開票日だったので、そこまではてんやわんやの騒動の渦中にいた(渦中というのは言い過ぎで、周辺をうろちょろしていたに過ぎないのだが…)。そのため、出掛けるとしたら23日の月曜日しかなかった。
しかもこの日は午後からクルマの定期点検が入っていたので、顔を出すならば午前中である。出掛ける直前になって、一寸面倒だなあといった気分が生じた。正直に書けば、文化展とはいってもそれほどのものではなかろうとの、何とも生意気な思い上がりもあったからである。しかしながら、私にはこうした生意気な思い上がりに対する嫌悪感も同居していたので、思い切って出掛けることにした。何事も面倒くさがらずにやってみる、出掛けてみる、これは年寄りが健康を維持するための秘訣でもあろう(笑)。
「年金者文化展」は長津田駅の側にある緑区民文化センターの一角で開催されていた。毎月のウオーキングで顔を合わせている斎藤さんにも会った。彼はこの文化展の責任者のようだった。それほど広い会場ではないので、ゆっくりと眺めて廻った。このようなところに定番のように必ず展示されているのは、俳句、短歌、川柳、絵手紙、ちぎり絵、絵画、書道、写真などである。世の中にもそしてまた年寄りの方々にも愛好者が多いからであろう。
愛好者が多い世界は、近付きやすくなる分だけ俗に流れやすくなるので、見に来た人の心を捉えるのはそう簡単ではない。そしてまた、創作者のレベルの違いも当然のように大きくなる。やむをえないことであろう。ブログの最後に写真で紹介しておいたのは、私の好きな篆書(てんしょ)で書かれた「百福」やかなり手間暇掛けたと思われるパッチワークキルト、それに「3.11の記憶」と題された油絵である。
斎藤さんの話によると、絵を描かれた方はかなりの年配の方のようだったが、年齢をまるで感じさせない迫力のある作品だった。創作に励む人はきっと何時までも若々しいのであろう。そんな視点で見ると、「百福」もパッチワークキルトも同じである。作品から、生きるエネルギーが伝わってくるのである。何時もウオーキングでお会いする方は、パッチワークやクレイアートのサークルの先生だった。
いつもたいへんファッショナブルな出で立ちなので、目立つ存在の方である。いつもウオーキングでお会いしていることを告げて挨拶したが、相手は私のことをまったく覚えていなかった。こちらは地味な存在だし、目立つことをどこかで嫌ってさえいるので、忘れられていて当然なのだが、それでも苦笑してしまった。まだ浮世離れしきれていない自分を感じさせられたからであろう(笑)。
ここに足を運んで嬉しかったことは他にもある。まずは斎藤さんの奥方である斎藤淑子さんにお会いできたことである。展示されていた神奈川の戦争遺跡や戦争の記憶、更には米軍ジェット機墜落事故の記録等を眺めていたら、側に来られていろいろと丁寧に説明してくれる方がいた。最初は斎藤さんとは知らないでいたが、すぐにご本人だと分かった。彼女は共産党の県会議員をされていた方なので、共産党のファンの人間にはよく知られた方だが、お会いしたのは初めてである。
斎藤さんの書かれた著作『ウワーッ!飛行機が落ちてくる』(光陽出版社、2006年)を興味深そうに手にしていたら、「差し上げますよ」とのこと。何だか申し訳ないとは思ったが、敢えてご厚意に甘えることにした。この本によると、彼女は政治活動を終えてから、児童文学者の北川幸比古に学んでこの本を仕上げたとのことだった。1977年9月27日に起きた米軍ジェット機墜落事故(彼女は、事故ではなく事件だと主張されている)が、彼女の政治家としての、そしてまた人間として生きることの、原点となったのであろう。そんな執念とも言うべきものを、ひしひしと感じさせる著作だった。
それに加えて、同じ場所に置かれていた2冊の冊子もいただいてきた。ひとつは「『横浜米軍ジェット機墜落』40年」と題した冊子である。先の著作もそうだが、こちらの冊子には、亡くなられた林和枝さんや大やけどを負った子供の写真もあって、涙無しにはとても読めない。この年1977年の7月に最初に生まれた子供を亡くしたので、そのことも思い出してしまうから尚更なのだろう。
もうひとつは、今は「こどもの国」として知られている場所が、日本最大の弾薬・弾丸製造工場であったことを記した冊子だった。迂闊ながら、そんなこともまったく知らないまま、今日まで過ごしてきた。今月9月のウオーキングでは、この「こどもの国」を訪ね戦争遺跡を眺めてくる予定なので、その際の資料として後で紹介させてもらうつもりである。またこの「年金者文化展」では、絵本作家でもあり水彩画の絵描きでもあり、路上詩人のようでもある早川和子さんとお会いし、あれこれと興味深い話をうかがった。その顛末については次回に紹介してみたい。
いずれにしても、出掛ける前に感じた「生意気な思い上がり」が、何とも恥ずかしくなるような「年金者文化展」だった。クルマの点検が済むまでテレビを眺めながら待っていたが、テレビでは、横浜市長選挙で山中竹春さんが菅総理の推す相手候補に大差を付けて勝ったことが、大きな話題として取り上げられていた。カジノ誘致問題に決着を付け、さらには菅政権に痛打を与えた文字通りの快挙だった。