「夢」を描く画家のこと

 前回夢の話を投稿したので、今回もその続きのようなことを書いてみたい。長い間夢の絵を描いてきた画家に、鶴見厚子さんという方がおられる。彼女は1951年生まれということなので、現在69歳である。このブログの読者の方々は、夢をほとんど見ない私のような人間が、何故彼女のことを知っているのか不思議に思われることだろう。それは、随分昔のことになるが、横浜市の中学校の教員をしていた我が家の家人が、ある中学校で鶴見さんと同僚だったことがあるからである。

 鶴見さんはその頃中学校の美術の教師をされており、家人とあれこれ話す仲になったようであった。たんなる同僚を越えた関係だったのかもしれない。そしてまた、家人はきっと家でも彼女のことを私に語ったのであろう。家人から聞いた話の多くは、しばらくすれば忘れてしまうところだが(笑)、私が何時までも覚えているところを見ると、夢の絵を描いている画家の話に興味を覚えたからに違いない。絵のタイトルともなった「夢の質感」も覚えていた。鶴見さんの作品を買おうかと思っていたぐらいだったのである。

 家人のところには、鶴見さんからの個展の案内が大分長い間届いていたようだが、私も家人もその頃は自分のことに追われていたこともあって、絵を見に出掛けるだけの気持の余裕もなく、とうとう一度も顔を出せずじまいだった。そしてついに、彼女から「案内状を送っても来ていただけないようなので、送るのをやめます」との知らせがあったらしい。家人は悪いことをしたと思い、胸が痛んだとのことだった。

 鶴見さんの絵に興味があるような話を交わしながら、個展に一度も顔を出さなければ、先のような知らせを受けても当然かもしれない。こちらに落ち度のある行き違いということであろう。人生にはままある話なのかもしれない。定年後は余裕も出来たので、知り合いの方から案内状をもらえばだいたいは家人と二人で出掛ける。外出するのにいいきっかけとなるからである。今頃鶴見さんから案内状をもらえば、必ずや出掛けたはずである。

 ところで、しばらく前に週刊の新聞である『新かながわ』(2020年6月14日)を読んでいたら、鶴見さんの個展に関する記事が載っていた。この『新かながわ』という新聞は、「県内の自治体で住民の福祉向上と暮らしがよくなることをめざして1965年に創刊され」、「県民にとって大切なことを現場から報道するジャーナリズム」として長い歴史をもち、「文化欄や郷土史の発掘などのコーナーもあり、文化と娯楽を兼ねそなえたローカル紙」である。

 どちらかと言えば神奈川の社会運動がらみの記事が中心のローカル紙なので、こんなところに鶴見厚子さんが写真入りで登場していたので正直驚いた。何だか場違いの感じがしたからである(笑)。その記事によると、鶴見さんは生まれは東京だが、中学生の頃に家族とともに横浜の本牧に転居し、高校生の頃から画家を目指していたとのことである。今回の個展は、彼女の画文集『夢現録』の発刊記念展でもあったらしい。そんなわけだから、横浜ゆかりの画家として登場していたのである。

 記事を見た私は、早速その画文集を手に入れるとともに、彼女の連絡先を知りたくて発行所に電話してみた。彼女に連絡が取れれば、昔の失礼を詫びたうえで個展開催の案内状をまた送っていただこうと思っていたからである。しかしながら、個人情報なので連絡先は教えられないとのことだった。

 ここでもまたすれ違ってしまったのである。『新かながわ』に載った記事が個展の開催前であれば、画廊に出掛けることもできたのだが、終了後だったのでそれも叶わなかった。あとは、彼女のホームページをチェックして次に催される個展の開催場所と日時を知るしかない。

 冒頭で私は夢をほとんど見ないと書いたが、ネットで検索してみると、人間は誰しもレム睡眠中に夢を見るとのことである。よく夢を見る人というのは、レム睡眠が中断される形で目覚めることが多い人であり、そのために夢を記憶しているらしい。これに対して、あまり夢を見ない人というのは、レム睡眠がきりよく終わったところで目覚めることが多いために、見た夢を記憶していないというのである。

 私などは、よく夢を見る人は、繊細で感受性が鋭く、想像力に溢れ、創造力も豊かな人のように思っていたので、自分とは違ったタイプの人間なのだろうと考えていた。今でもそんな感じが抜けない。違ったタイプだからこそ興味が沸くということもあるのだろう。よく夢を見る鶴見さんは、30年以上も夢日記を書いているのだという。そして彼女が描く夢の絵は、『夢現録』を見ると、夢というものの「質感」から夢の「意味」や「形象」を描くところに移りつつあるようである。

 家人は鶴見さんと同僚の頃、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』について彼女と熱く語り合ったらしい。画文集にも『デミアン』の話が出てくるので、鶴見さんも深い影響を受けたことがよく分かる。両性具有やカオスに憧れて描いたのも『デミアン』のイメージであったようだし、「男と女、善と悪、真実と嘘、などの二元論的な考え方を(本当にそうなのかい?)と、つついて来たのもヘッセの『デミアン』であった」と書かれていた。

 青春時代の魂の彷徨を描いた『デミアン』(とても読みやすくなった光文社古典新訳文庫では、『デーミアン』となっている)には、夢の話が夥しく出てくる。鶴見さんの『夢現録』に触発されて、今回『デーミアン』を読み直してみた。老境に入って読むとどのように感じるのかに、いささか興味があったからである。もはや瑞々しさを失いかけている私の魂には、素直に受け止めにくいところも多々あったが、他方で、私が現実世界との間に感じてきた違和感や距離感の背景というものを、あらためて思い知らされたりもした。

 『デーミアン』には、「すべての人に与えられている本当の使命とは、自分自身に辿り着くこと、この一点に尽きる」とあるが、ここまで生きてきても、自分自身に辿り着いたのかどうかが判然とはしない。いつまでも辿り着くことのない「見果てぬ夢」を彷徨っているからなのかもしれない。鶴見さんが描こうとしているものは、「夢」と「現」(うつつ)を行き来し、「過去」と「未来」を飛翔するような柔らかな感性なのではあるまいか。それは、夢を見ない人間が、鶴見厚子という「夢を見る人」に抱く憧れでもあるのだろう。

(追 記)

 上記のような話をブログに投稿したと家人に伝えたところ、彼女は昔鶴見さんからもらった年賀状を探し出してきた。1997年の年賀状だから、今から23年も前のものである。そこにはこうある。「なかなか見ていただけないので、ついに昨年は個展のご案内出しませんでした。今年は8月末銀座です。よろしかったら是非~!」。その銀座にもついに行くことはなかった。申し訳なく思うばかりである。年賀状には鶴見さんの住所が書かれていたので、ブログに投稿したこの原稿を送ってみることにした。届くかどうかまったく分からないのではあるが…。
 

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