「労働の世界」の変容とその行方(完)
おわりに
「社会」の再生のためには、労働をめぐる「再規制」の必要性が改めて強調されなければならない。この間注目されてきたのは、雇用に関して言えば、派遣労働に対する新たな規制である。派遣労働者は、「自由化」によって正社員に代替する形で急増してきたのであるが、この「自由化」を見直し、ワーキング・プアの温床ともなった「日雇い派遣」や「登録型」派遣の規制も浮上した。更に、ワーキング・プアとの関連では、最低賃金の引き上げも注目された。先進国のなかで最低レベルにあるわが国の低すぎる最低賃金の改善は、急務なのである。更には、労働時間の短縮も大きなテーマとして浮上しており、時間外労働の規制や不払い残業の根絶、更には時間外割増率の引き上げを通じて、雇用を創出していくことなども期待された。そして最後に、失業した非正社員が雇用保険を受給出来ない現状の改善も急務となった。加入資格を緩和したり、失業給付期間を延長していくことが緊急の課題として浮かび上がってきたのである。
こうしてここに掲げた雇用や賃金、労働時間、社会・労働保険に関わる課題を振り返ってみると、あまりにもオーソドックスでクラシック、更に言えばわれわれがこの間軽視し続けてきた課題であることに驚きを禁じ得ない。わが国の企業別組合が見失ってきた制度や政策に関わるような課題、即ち「社会」の有り様に関わる課題が、新自由主義の改革の果てに再びクリアに浮かび上がってきているのである。これらの課題は、政党のマニフェストに書き込まれるだけではなく、すべての労働組合の方針書にこそ書き込まれるべきものなのではなかろうか。更に言えば、1970年代には国民春藤が取り組まれ、そこには生活闘争や制度・政策要求があり、「社会的弱者」に対する連帯があった。今そうした過去の運動体験を思い起こしてみることは、これからの「社会」の有り様を考えるうえで決して無駄ではあるまい。
今日では、上述したような課題に対する政府の処方箋として、「働き方改革」が登場し今国会で法案の審議が始まろうとしている。そこでもっとも注目されたのは労働時間改革である。中身は、①「高度プロフェッショナル制度」の導入や、②裁量労働制の拡大、③残業時間の上限設定からなる。①は高度専門職を労働時間、休憩、時間外割増賃金などの規制の対象外とするものである。残業代の支払うがゼロになることがよく話題となり、それはそれで重要な運動上の論点ではあるのだが、「社会」の再生を重視した観点から言えば、企業が労働時間を管理しない制度であることの方が大きな問題かもしれない。②は企画業務型の裁量労働制を提案型の営業に拡大するものであり、こちらも時間管理を弱めた領域を広げることになる。③は36協定で青天井となっている残業の上限を、法律で「月45時間、年360時間」に定めるものである。しかしここには「特例」があって、そのために過労死認定基準と同じ水準までの延長が可能となっている。
賃金については、「非正規という言葉を一掃する」ために「同一労働同一賃金」を実現すると言うのが謳い文句である。しかしながら、政府案には「同一労働同一賃金」の文言はなく、基本給や一時金について労働者の能力や業績、企業への貢献度、人材活用の仕組みなどをもとに、「違いに応じた支給」でよいとされている。ここに紹介した違いを判断するのは使用者なので、非正規が一掃されることなどそもそも考えにくかろう。他に注目されるのは、雇用対策法の改定によって「多様な就業形態の普及」が雇用施策に加えられようとしていることである。労働法制の対象外となるフリーランスの個人事業主や請負・委託などの働き方が、これまで以上に広がる可能性が高いのである。フリーランスの働き方に関して言えば、その過半が不本意なものであるとの調査結果もある。ワークルールから除外された働き方が、「究極の非正規雇用」(脇田滋)となる危うさを忘れるべきではなかろう。
こうした政府提出の法案の問題点を眺めてみると、非管理や非雇用の領域の拡大に現れているように、自由や多様ばかりが前面に出ているように見える。そうしたところに良質な「社会」が再生するとは思われない。このような「働き方改革」の有り様は、現代においては「仕事はもはや自己、アイデンティティ、生活設計の足場にはなり得ない。それは社会の倫理的基礎とも、個人生活の道徳的基軸ともみられなくなった」(ジークムント・バウマン)といった議論を改めて思い起こさせる。「生産性革命」とセットにされた「働き方改革」は、働き方の足場と基礎と機軸を弱めていくことによって、一方では仕事の有り様を更に空疎なものにしかねないし、その空疎を埋めようとして、過剰な労働が更に強められていく危険性もある。「成長戦略」に従属した改革故の危険性であろう。「問題なのは、成長戦略がないことではない。成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」(平川克美)との指摘は重い。
もっとも、新自由主義の下での先のような流れが、歴史的な必然という訳ではない。「物語的主体」となることを阻まれて「漂流する個人」(リチャード・セネット)となったとしても、労働者は労働と生活を通じて人生の物語を紡いでいくしか生きる術はないからである。「社会」が衰退したところに噴出するのは、非「社会」的なあるいは反「社会」的な、そして脱「社会」的な行動の連鎖であり、「逸脱や逆機能」(山之内靖)の広がりである。
格差が拡大し貧困が蔓延した社会がリスキーな存在であることは、近年の諸事件を通じてわれわれが学んだところではなかったか。企業への自虐的なまでの埋没や市場における自由な競争のみで、良質な「社会」が形成されるはずもなかろう。「企業社会」や「市場社会」を市民社会に埋め込んで、労働と生活を基軸に据えた自己と他者の持続的な相互交流の場としての「社会」に転換していくためは、さまざまな紆余曲折と困難はあっても、「労働再規制」(五十嵐仁)に向かうしかない。すなわち、先に紹介したような「国家法的規制や労働者集団による社会権力の規制」を通じて、「社会」を再生させていかなければならないのである。希望は依然としてそこにこそある。
参考文献
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