「わが町」から(下)
前回新しい駅名について年寄りの愚痴めいた感懐を述べさせてもらったが、こうした思いは団地の名称にもそのまま当てはまる。私が今の団地に越して来る前に住んでいたところは、中山にある宮根団地である。そして、同じ都筑区には川和団地もあるし、市営勝田団地もある。ところが、港北ニュータウンにできた団地の名称は、じつにバラエティに富む。
私の住んでいるところはメゾン桜が丘(フルネームは、港北ニュータウンメゾン桜が丘団地である)であるが、周りの団地はグランノア、しいの木台ハイツ、かしの木台ハイツ、みずきが丘住宅、けやきが丘住宅、タンタタウン、メゾンふじの木台、シンフォニックヒルズ、港北ファミールハイツ、港北ガーデンヒルズ等々である。ニュータウンらしさを出そう、高級感を出そうと苦心していることが窺われるような名称が、やたらに並んでいる(笑)。
私が気になったのは、今風の新しい名称が「団地」という呼び方をすべて避けているという、興味深い事実である。同じ団地に住むある知り合いは、「団地は現代の長屋ですから」と喝破したことがある。隣近所に住む住民が、お互いに迷惑をかけたり受けたりしながら、それでもどこかで支え合って一緒に暮らしている場所だと言いたかったのであろう。「わが町」というものを考えるうえで、非常に重要な指摘なのではあるまいか。団地なのに団地という名称を避け、「現代の長屋」なのに、そこに暮らすわれわれがそのことを忘れていては、「わが町」は生まれようもない。
ところで、「わが町」のありようを考えようとするならば、町の景観を俯瞰している、言い換えるならば「鳥の目」で眺めているだけはやはり足りないだろう。「わが町」は「探す」だけではなく、住民が「創る」ものでもあるからである。そこに暮らす人々の息づかいが感じられてこその「わが町」であろう。そんなふうに考えると、地べたから見る「虫の目」が求められることになる。
その息づかいは、区民の暮らしの現実や、そこから生まれてくるさまざまな願い、さらには、そうした願いを実現するためのあれこれの社会運動の姿に現れているに違いない。「わが町」のありようがさまざまな社会運動を生み出していくだけではなく、住民の参加による社会運動の広がりが、「わが町」を愛おしむような意識をより強くしていくようにも思われるのである。
では、区民の日々の暮らしから生まれるや願いはどのようなものであり、そうした願いを実現していくためにはどのような課題を解決していかなければならないのであろうか。前回の投稿で都筑区には若い世代が多いことを指摘したが、そのために、区民の間には出産や子育て、あるいは子どもの教育に関する関心が比較的高いようである。所得のレベルが高ければ、そうした傾向は更に強まっているに違いない。
こうした子育てに対する関心の高さは、よりよい教育環境や地域におけるコミュニティのありようへの関心とも結び付いているだろう。中学校給食問題やカジノ誘致問題に対する関心の高さは、そのことを示している。全国のほとんどのところで実現している中学校給食のようなものさえ実施しようとしない貧しい教育理念、税収さえ増えれば(現状ではそれすら怪しいのではあるが)何でもありだと考えるような貧しい政治思想からは、「わが町」という発想など到底生まれてはこない。「わが町」でもないようなところに、「国際都市」横浜などが生まれようもないではないか。そんなものは官庁文書に存在するだけの虚妄に過ぎないと言うべきだろう。
区民の都筑区への愛着の高さを踏まえるならば、住み続けたい「わが町」をともに創っていくという方向性がきわめて重要となるだろう。新しいタイプの若い住民は、大型の商業施設や交通の利便性のような暮らしやすさだけではなく、芸術や文化やスポーツの振興、緑道や公園の整備といった、公共空間や自然環境の保護に対する関心も比較的高いようである。暮らしの「豊かさ」を構成する領域が、多方面に広がってきていることにも注目すべきではなかろうか。
都筑区が誕生してからはや25年が経つ。若い世代も徐々に中高年化してきており、今後高齢化のスピードが速まっていくことは確実である。そうした動向を踏まえるならば、高齢者にとっても暮らしやすいオールドタウンの構想も必要となっているのかもしれない。このような視点をさらに広げてみるならば、老若男女から始まり、障がい者や引きこもりの若者などをも包摂するような区が望まれることになるだろう。
「わが町」となるためには、多様な人々の共生こそが大事なのである。比較的同質性の高いニュータウンでは、現状に自足しがちな故に、各種選挙における投票率の低さに示されているような「政治的無関心」が広がっているようだし、さらには、そうしたところでは異質なものを排除しがちだということも忘れてはなるまい。
では、これからの社会運動はどのような方向性を持つべきなのであろうか。「鳥の目」や「虫の目」との対比で言えば、「魚の目」(こう書くと、足裏の痛いイボのようなものを思い浮かぶのだがー笑)が必要だということになる。時代の流れに右往左往する必要などまったく無いが、その流れをきちんと読んだうえで、社会運動の方向性を考えなければならないのではなかろうか。
そんな大問題に分かり易い結論などあるはずもないのだが、もしかすると、これまでのようなハードで一元的な運動から、新しいタイプの住民が抱いている関心に沿った、ソフトで多元的な運動へとシフトしていくことが重視されなければならないのかもしれない。運動のスタイルとしては、批判のための批判や指令や動員にのみ頼った運動ではなく、自発性や双方向性、多様性、創造性をより強く意識したものにしていくことが、これまで以上に重要となってくるのではあるまいか。
この間、環境やジェンダーや人権といったテーマが世の中に浮上してきているが、区の社会運動を発展させるうえでも、こうしたテーマに一層関心を払わなければならないだろう。これまでの伝統的な社会運動が見逃しがちな視点である。いずれにせよ、住民の動向に注目し、関心を払い、分析したうえで、運動を展開していくことが求められているように思われる。
市場を万能化して公共の領域を軽視し、医療保障や福祉による保護の体制を弱め、格差を広げるような社会は、危うさを増している。言い換えれば、「生産性」重視、「自己責任」重視の新自由主義のもとでは、人々の安心した暮らしは保てなくなっているのである。コロナ禍が教えているのはそのことだったのであろう。「個人」ではなく「社会」のありようが大事なのであるが、そうした感覚は「わが町」を創ることとも通底しているのではなかろうか。
今回は何だか真面目な投稿となってしまった。何時もいい加減な人間がたまに真面目になると、新鮮でいいのかもしれないのだが…(笑)。横浜市のカジノ誘致に反対する運動に関わってきて、私が住む団地でもさまざまな人々との出会いがあった。現実を変えるために、一歩でも二歩でも前に進もうとする人々があちこちにいるのである。そんな繋がりの中で、「わが町」はゆっくりと芽生えていくのかもしれない。