三人の友人と食事をして-「パワハラ発言」雑感-(上)
2月の下旬から台湾に出掛けることもあって、ブログの原稿を書きためておくことにした。一昨日は立春だったから、暦の上では春が始まることになっているが、暦通りに季節が変化するわけではない。しばらく前には午後から雪が降り始め、夜には僅かだが積もった。久しぶりに見る雪化粧である。気圧の変化が大きかったこともあったのか、稲妻が走り雷まで鳴った。窓から冬の稲妻を゙眺めていたら、突然椅子から飛び上がらんばかりの大きな雷鳴が鳴り響いた。近くに雷が落ちたのである。
先日は関東地方で春一番が吹いた。春一番とは、 立春から春分までの間に初めて吹く、暖かい南よりの風のことを言うらしい。春の到来を告げる風である。今年は例年よりもかなり早く吹いたようだ。この日は温かな風に全身を曝したくなって、手袋もなしで自転車に乗った。年寄りなので、強い風には気を付けなければならないのだが…。三寒四温と言うから、寒の戻りもあるのだろうが、手袋のいらなくなる季節ももうすぐである。春は確実に近付いている。
この間、3人の友人と昼食を共にする機会があった。たまプラーザの蕎麦屋で、町田の焼肉屋で、近所のイタリアンレストランで食事をし、その後近況などをあれこれと語り合った。たまにこんな機会を持つことができることは、年寄りにとって殊の外嬉しいことである。3人はそれぞれ違ったタイプの知人だが、俗に言う「左翼」の人間なので、話題は自然に政治の話へと向かうことになる。3人とも自分の意見を持ってはいるが、他方ではものの考え方や受け止め方が柔軟なので、そうした人との議論はなかなか刺激的で愉しい。誰にも忖度しない遣り取りなので、なおさらそう感ずるのであろう。不勉強な私などは大きな刺激を受ける。
この3人が3人とも話題にしたのは、日本共産党がこの1月に開いた第29回党大会のことであった。マスコミでも注目されていたから、話題に上がって当然であったろう。この大会では、志位さんに代わって田村さんが新委員長となるなどして、新指導部の陣容が明らかとなったし、また、この大会に除名処分に対する再審査請求を行っていた松竹伸幸さんに対しては、その請求が却下されて最終的に除名処分が確定した。松竹さんは名誉毀損で裁判で争うことを表明しているので、これからは法廷での審理に委ねられることになる。
この私は、仕事の合間にYouTubeで党大会の様子を視聴したり、『しんぶん赤旗』でも興味を持った箇所は読んでいたが、そんなことをしていて気になったことがあった。端的に言えば、少数意見として現れる異論に対して、その対応がかなり粗略かつ粗暴なのではないかということである。もう少し踏み込んで言うと、異論をできるだけ小さく見せようとしたり、「反共攻撃」として押さえ込もうとするような力学が、強く働いているのではないかという危惧である。
民主集中制なるものは、異論が存在することを前提とした制度であり、それはまた、異論からも何ものかを汲み取ろうとする制度として設計されているようにさえ思われるのだが、現実に党大会で繰り返し強調されていたのは、革命政党にとって民主集中制による行動の統一がいかに大事かという視点であった。その分、民主集中制における民主はかなり後景に退いているように思われた。友人たちとの話の遣り取りなども踏まえながら、先のように感じた根拠を3点に渡って述べてみたい。
まずは第1点目。大会では、大会決議案に関する中央委員会報告や結語が「圧倒的多数」で採択されたことになっている。その通りではあるのだが、YouTubeで眺めていると、反対、保留、賛成の順できちんと採決が行われ、反対0、保留6、そしてそれ以外の代議員は賛成という結果であった。これまでは満場一致で採択されるのが通例であった党大会で、保留が6票もあったのはきわめて異例のことである。この私には、異論が複数存在することがはっきりと示されたという点で、画期的な大会であると思われたのだが、保留6という数字が『しんぶん赤旗』紙上で明らかにされることはなかった。もしかしたら、そうした事実に触れたくなかったのかもしれない。神奈川の県党会議に代議員として出席したという友人は、そこでも保留が4票あったと語っていたが、この数字も公にされてはいない。
共産党内にさまざまな意見があることが、ごく当たり前の正常な状態とは捉えられず、不一致あるいは不団結として、言い換えるならば、あるまじき状態のように捉えられている所為なのかもしれない。こうした組織風土のもとでは、自由な討議や対話が根付いていくことはなかなか難しかろう。「敵」に包囲されているとの現状認識が、「反共攻撃」の言説に正当性を与え、過剰なまでの組織防衛へと向かわせているのかもしれない。だが、そのことがかえって国民との距離を大きくしており、「多数者革命」への道を困難にしている可能性も十分にある。
次に第2点目。除名処分に不服な松竹さんは、規約に則って大会に再審査を請求したことは先に触れたが、大会の場では、彼がどのような理由で再審査を請求しているのかが、彼自身の言葉で語られることがなかったのは勿論のこと、その内容が文書で大会代議員に配布されることもなかった。提出された「再審査請求書」を大会幹部団が受理し、再審査を行った結果、「松竹氏の除名処分は党規約にもとづいて適正に行われており、『再審査請求書』での松竹氏の主張は、除名処分の理由を覆すものではない」ことが確認され、それを踏まえて、大会幹部団は松竹さんによる除名処分の請求を却下したことを大会に報告し、その報告が拍手で承認されたことになっている。
また、 松竹さんの「再審査請求書」は、「除名処分決定文」において除名の理由とされたことについて、「まったく反論できないことがその特徴となっている」とまで酷評されているのであるが、彼のブログを時折眺めているような私からすると、本当であろうかと首をかしげざるをえない。もしもそのような取るに足らない「再審査請求書」であったならば、3分冊にまとめられた『大会決議案への感想・意見・提案』において、多くの方々が除名処分に対して批判的な意見を述べるはずもなかろう。相手が何を主張しているのかをきちんと大会代議員の前に明らかにしたうえで反論することが、大事だったのではあるまいか。
そしてまた、再審査請求が却下されたことを拍手で確認したことになっているのであるが、ここはやはりきちんと採決すべきではなかったかと思う。大会幹部団の報告に対して、反対、保留、賛成と挙手を求める必要があったのではないか。それが、除名処分を不服として党大会においてまで再審査を求めている党員に対する、最低限の礼儀なのではあるまいか。異論がありうる重要な議題に関してまで、拍手で承認してしまってはまずかろう。異論は処分を支持する大きな拍手にすっかり飲み込まれ、雲散霧消させられてしまった。いささか狷介なこの私は、こうした熱狂を殊の外好まない。
「こんな連中に負けるわけにはいかない」といった福岡の代議員の発言もあったようだが、こうした品位のかけらもない興奮した発言が平気で行われるようでは、党の最高機関である党大会の名が泣くというものだろう。そこには、異論を尊重しようとする姿勢など微塵も感じられない。「リスペクト」が必要となるのは、まさにこうした時である。余計なこととは思うが、もう少し松竹さんの落ち着きを見習った方がよいのではないか。採決をしなかったのは、もしかしたら反対票や保留票が一定数出て、異論の存在が可視化されるのを嫌ったためのようにも思われるのだが…。こんなふうに書くと、下衆(げす)の勘ぐりだと批判されるのかもしれないが、もともと下衆な人間なので、それもやむを得ない(笑)。第3点目については次回で触れる。
PHOTO ALBUM「裸木」(2024/03/02)
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